Center line 〜センターライン〜
元読売巨人軍・井端弘和氏が、野球にまつわる様々なテーマを、独自の目線で深く語るYouTubeチャンネル『イバTV』を配信中! コラム 〜センターライン〜 では『イバTV』の未公開部分を深堀りし、テーマに沿ってお届けします。
[連載 第6回]
野球の未来、スポーツの未来を考える
時代とともに変わるもの、変えてはならないもの
(後編)
Posted 2020.01.24

「一瞬なのか、将来的なのか」で指導は異なる

ここ数年、スポーツ界ではパワハラ問題もしばしば取り沙汰されるが、「昨今は子どもたちを取り巻く環境も、時代とともに大きく変わっている」と井端は感じている。
「僕はいま少年野球チームでも教えているのですが、まず、今の子どもは『はい、これやれ!』じゃ通用しない。僕らの子ども時代は監督の教えが全てで、それ以外の情報はほとんどありません。でも、今はインターネットを見ればいろいろなハウツー情報があふれている。今の子どもたちは迷いやすくなっていますし、そういう中で説得力を持たせるのは難しいかもしれませんが、僕は『遠くに飛ばせ』とか『思いっきり振れ』という言い方はしないようにしています。どうすればそれができるようになるかを教えるのが指導の本質ですので」

「ただ、最終的にどこを目標にしているかによって、指導の仕方は変わってくると思う」と、井端は続ける。

「プロをめざす子どもなら、やはりプロは結果が問われますから技術的なことをどんどん教えるでしょう。プロに行って苦労するところは、僕自身が経験しているので徹底して指導すると思います。でも、野球とラグビーを掛け持ちしていて高校では野球はやらないという子どもなら、それを口酸っぱく言うよりも、そのときしか教えられないことが他にあるかもしれない。『一瞬なのか将来的なのか』というところは、本人とうまく話していかないといけないところかと思います」

もっとも、井端の出身校である亜細亜大学の野球部は、日本一の練習量とOBが口を揃えるほどハードな練習や厳しい上下関係で知られている。井端自身は、その厳しさの中から得ることも多かったと振り返る。
「当時も今もグラウンド内は厳しいと思いますよ。1つのミスが負けにつながることは、大学までにみな経験していることですから。エラーしないためには練習するしかないし、レギュラーじゃない先輩だって同じ気持ちでやっている。『選手全員に認められなければ、試合の場に立ってはいけない』ということはそこで学びましたし、気を抜いたプレーをして厳しい言葉をかけられるのは当然だと思います。ただ、ユニフォームを脱いだら人と人ですから、先輩の方が後輩を気遣ったりできる存在であってほしいですよね」

信念や目標、強い気持ちは、決して変えてはいけない

「指導者が指導力を磨く以外、強いチームは作れない」
そう語っているのは、スパルタ指導全盛時の1968年から理論的トレーニングが当たり前となった2011年まで、43年間、福井商業の監督を務めた名将・北野尚文だ。数々の試行錯誤を経て甲子園の最多出場を果たした北野氏の名言の中に、アマチュアスポーツの指導者や関係者はもちろんのことスポーツを志す若者たちに是非伝えたい「3つの変える」という言葉がある。

「1つは時代が変わり、社会が変わり、変えざるを得ないもの。2つ目は、自分がこれではいけないと気づいて変えるもの。最後にいくら時代や社会が変わっても、変えてはいけないものがある」
(『心をつかむ高校野球の名言』(田尻賢誉・著/ベースボールマガジン社)より)

大学時代の厳しさの中から自身のプレースタイルを確立した井端にとって「変えてはいけないもの」とは何だろうか。
「信念やモットー、あるいは目的、目標といった基盤になるものは今も昔も変えてはいけない。個人としてもチームとしても、それが崩れてしまったら全てやる意味がなくなってしまうと思います。逆にいえば、それさえしっかりしていれば、時代や社会の変化に応じて正しい選択ができると思うんです」

かつて北京五輪のマラソンで優勝したサムエル・ワンジルは、日本の高校駅伝と実業団駅伝で活躍したが「日本人は駅伝の練習で疲れてしまっている」と指摘し、実業団を退社した。そして駅伝は、金栗四三の掲げた「世界に通用するマラソンランナーの輩出」という当初の目標からかけ離れた一大イベントとなっている。

野球界では、地方大会での連投を回避しロッテへ入団した佐々木朗希が「沢村賞」の目標を掲げ、かつて延長17回、250球を投げ抜いた“平成の怪物”松坂大輔は、右肩にメスを入れながらも現役を続行。西武入団の記者会見で奇しくも「200勝」への想いを語った。

五輪ランナーを育てるために駅伝競技はどうあるべきなのか。球界が200勝投手や沢村賞投手のような、選手もファンも憧れるヒーローを育てるにはどうするべきなのか。その原点に、いま一度立ち返って考える必要がありそうだ。

(了)/文・伊勢洋平