Center line 〜センターライン〜
元読売巨人軍・井端弘和氏が、野球にまつわる様々なテーマを、独自の目線で深く語るYouTubeチャンネル『イバTV』を配信中! コラム 〜センターライン〜 では『イバTV』の未公開部分を深堀りし、テーマに沿ってお届けします。
[連載 第8回]
球春2020 〜それぞれのスタートライン〜(後編)
Posted 2020.02.21
©Hiroki Anvil

特別な思いで2020年に臨むアスリートたち

7月24日の東京五輪開催まで150日を切り、この春は多くのアスリートが特別な思いでスタートを切る。五輪代表争いが大詰めを迎える男子マラソンは、3月1日の東京マラソンと3月8日のびわ湖マラソンがMGCのファイナルチャレンジとなり、設定記録2時間5分49秒を突破した日本人最速選手が、ラスト1枠の代表に内定する。

現状、代表3枠のうち2枠は一発勝負の選考方式MGCで優勝した中村匠吾と2位の服部勇馬。3位だった日本記録保持者の大迫傑は、東京マラソンと琵琶湖マラソンで設定記録を突破した選手がいなければ代表に内定する権利を得ている。もちろんその権利を保持したまま他のランナーの結果を待つという選択肢もあったが、大迫は東京マラソンへの出場を表明した。
「これまで走りきったマラソンはすべて3位。東京マラソンで初優勝したい」

思えば2時間5分50秒の日本記録を打ち立てた2018年のシカゴマラソンも3位だった。翌年に出版した自著『走って、悩んで、見つけたこと』(文藝春秋)の中で、すでに大迫はこう記している。
「他の選手が潰れていくことを考えるのって、待ちのレースですよね。僕は待ちにいくのではなく、ちゃんと勝ちにいきたい」

東京マラソンには、前日本記録保持者の設楽悠太、ニューイヤー駅伝で完全復調を遂げた井上大仁も参戦し、2時間3分〜4分台の海外勢が7人もエントリー。ハイペースなレースが予想されるが、スタートラインに立つ大迫の気持ちに一切のブレはない。

苦難に陥ったとき、見えた光とは

どんなに強くて才能のあるアスリートでも、毎シーズン全てが順調であるわけではない。故障でフィールドに立てず長期のリハビリを余儀なくされたり、自然災害によって自宅や練習拠点を失ったり、不慮の事故に遭うことだってある。チームスポーツであれば、自分の調子のいい時だけ活躍できればいいというものでもない。そうした苦難に直面したアスリートが、苦難を乗り越えるとき、見えているものとは何だろうか。

井端もまた2009年、グアムでの自主トレ中、角膜ヘルペスという眼の病気に感染して右目の視力を失い、一時は引退を覚悟するほどの苦難に陥ったことがある。
「病気に罹った年は、薬で進行を抑えていたとはいえ、目とボールの距離感が全く一致せず、捕ったと思ったボールも全く捕れていなかった。そうした感覚のズレというのは野球選手にとって一番厄介なのでね、ひたすら人より多くノックをして、感覚をアジャストさせることだけに集中しましたが、発症から1年は本当にストレスの溜まる時期でした」

今も右目の視力は戻っていないが、その練習を積み重ねる中で井端は捕球と打撃の感覚を取り戻し、2010年の9月には二軍の試合に出られるまで回復。投薬の効果もあってか日本シリーズに間に合うほど病状も寛解した。そして2012年、井端は3年ぶりのゴールデングラブ賞に輝いたのだ。
「病気や故障のときはどうしても焦って感情的になってしまう。自分も最初は取り乱していました。そういうときこそ冷静に体と向き合ってどう筋道をつけていくか。感情的になるとすべてマイナス思考に陥ってしまいますから」

マイナスからプラスへ、井端を変えたものはある種の開き直りと、献身的に病院を探し続けてくれた妻への感謝でもあった。
「リハビリを支えてくれたスタッフや家族のために」
「被災した母校を支援してくれた人々のために」
苦難に直面したアスリートたちが絶望の深淵で見いだす光とは、そうした感謝の気持ちに他ならない。そして彼らは人一倍のハードな練習を乗り越え、スタートラインに立っている。

前述の著書の中で大迫傑はこうも語っている(一部略)。
「マラソンを始めて感じたのは、勝ち負けは大事だけれど、それ以上にやってきたことをちゃんと出したいということ。エリートランナーだけでなく、市民ランナーの方だってすごい。何ヶ月もハードなトレーニングに耐えて、一人での時間に耐えて、仕事の合間を縫って練習時間を作り、淡々と走り続けてきたということはすごく価値のあること。みんな個々に苦しい時間を乗り越えて、スタートラインに立っていることに対して、僕は純粋にすべてのランナーを素晴らしいと思います」

(了)/文・伊勢洋平