Center line 〜センターライン〜
元読売巨人軍・井端弘和氏が、野球にまつわる様々なテーマを、独自の目線で深く語るYouTubeチャンネル『イバTV』を配信中! コラム 〜センターライン〜 では『イバTV』の未公開部分を深堀りし、テーマに沿ってお届けします。
[連載 第17回]
野球ができる喜び、応援できる喜び(前編)
Posted 2020.08.14

特別な夏、甲子園は最高の舞台だった

2020年8月10日。長い梅雨が明け、甲子園に特別な夏が訪れた。例年のような華やかな入場行進はない。スタンドにはマスク姿で間隔を空けて座る控え部員と保護者らの限られた関係者。吹奏楽や全校応援の大声援は響かない。そして、勝っても次の試合はなく、優勝もない。だが、白球を懸命に追い、全力でダイヤモンドを駆ける高校球児たちの姿は変わらなかった。

春のセンバツの代替として行われた「2020年甲子園高校野球交流試合」は、始まってみれば、初日から手に汗握る大熱戦。甲子園通算51勝の馬淵史郎監督率いる明徳義塾は、鳥取城北相手に3点のビハインドを背負って終盤を迎えたが、8回に1点差とすると、9回2アウト1・2塁から鮮やかな2点3塁打で逆転サヨナラ勝ち。明徳の真骨頂である勝利への執念と、鳥取城北の気力がぶつかり合った一戦は、交流試合であることを微塵も感じさせない、いつもと変わらぬ夢の舞台・甲子園だった。

部活に打ち込む高校生たちがこれほど翻弄された年はない。3月のセンバツ中止発表に続いて、緊急事態宣言による休校と自宅待機。それに追い打ちをかけるように中止となった夏の甲子園。目標を失い、悔しさに打ちひしがれる中、都道府県の高野連による独自大会の開催が決まり、6月には春のセンバツに出場予定だった32校を対象に、1校1試合のみ甲子園で戦うことができる交流試合が決定した。ほとんどの高校が、休校中に荒れ果てたグラウンドの整備や、時間の限られた練習から活動を再開。だが、当たり前だった時間を失い、多くの諦めと戦ってきた彼らだからこそ、人一倍、野球ができる喜びを心に刻み、試合に臨んでいる。

腎臓に難病を抱え、月に一度通院しながらもエースの座をつかんだ鳥取城北の坂上陸投手は、最後のマウンドでサヨナラ打を喫して悔し涙を流すも、こう語った。
「小さい頃から夢だった甲子園は厳しかった。でも、それ以上に、過去の心労を吹き飛ばしてくれる最高の舞台だった」
花咲徳栄に敗れた大分商業の渡邉正雄監督も、最初で最後の1試合をこう振り返った。
「甲子園はいろいろな悩みを吹っ飛ばしてくれる、思い描いていたような素晴らしい場所だった。ここで野球ができて本当に幸せです」

甲子園への切符なき大会が伝えたもの

選手たちの野球ができる喜びや、野球ができることへの感謝の気持ちは、各都道府県の開催する独自大会でも同じだ。

独自大会は、従来の選手権と違って、優勝しても甲子園への切符はない。ようやく野球ができるとはいえ、今年の夏にかけていた強豪校ほど、独自大会に対してのモチベーションの向上に苦悩していた。強力打線を掲げて9年ぶりの東東京大会優勝を狙う帝京高校は、2月末から休校となり、練習が再開できたのは6月。夏の甲子園中止が決定し、選手たちが落胆する中、前田三夫監督は選手たちにこう伝えたという。
「野球ができたのは、ずっと支えてくれたご両親のおかげ。支えてきてくれた方々に、まず感謝の言葉を伝えなければ」

十分な練習を積めないまま迎えた独自大会だったが、帝京高校は初戦で全ての3年生を出場させることでチームを結束。調子の上がらなかった打撃力を一打必勝の采配で補いながら勝ち上がり、決勝ではライバル関東一高との11回に及ぶ激闘を制し、念願の優勝を果たした。47年ぶりの開催となった東西頂上決戦では、西東京・東海大菅生に紙一重の差でサヨナラ負けを喫したが、加田拓也主将は独自大会をチームの仲間たちとこう振り返った。
「甲子園に行けたな。でもそれだったら、こんないい試合、できてなかったよな」

一方で、劇的勝利を収めた東海大菅生の玉置真虎主将は、試合後のインタビューで「野球をやってきてよかった」と3年間の思いが込み上げ、感極まった。
「甲子園のない中でも熱心に指導してくれた監督、こんな状況の中で大会を開催してくれた運営の方、スタンドに応援に来てくれた保護者の方に感謝したい」

だが、この特別な夏に感謝しているのは、選手たちだけではない。高校野球を題材にした青春映画で『アルプススタンドのはしの方』という作品がある。エース争いで勝てないからと野球を辞めた元野球部員や、インフルエンザに罹って大会に出場できなかった演劇部、学年トップの成績だったのが2位に転落してしまった女子ら、高校生活のどこかで「しょうがない」という諦めを抱いていた高校生たちの気持ちが、母校の野球部を応援することで変わっていくストーリー。

何かにつけ「このご時世だからしょうがない」と諦めがちな昨今だが、今夏の高校野球には、その「しょうがない」を何度も克服し、グラウンドに向かう選手の姿がある。そして、そんな選手たちを「頑張れ」と応援するその気持ちが、いつしか自分に宛てたエールへと変わる。それこそがスポーツの清々しさの原点であり、野球ができることに対して感謝しているのは、私たちファンも然りだ。しょうがなくとも諦めずに必死に頑張ってみることが青春。そんな気持ちが伝わって、私たちの社会も前へ進んでいくのかもしれない。

(つづく)/文・伊勢洋平