Center line 〜センターライン〜
元読売巨人軍・井端弘和氏が、野球にまつわる様々なテーマを、独自の目線で深く語るYouTubeチャンネル『イバTV』を配信中! コラム 〜センターライン〜 では『イバTV』の未公開部分を深堀りし、テーマに沿ってお届けします。
[連載 第20回]
フィールド・オブ・ドリームス 〜夢を追い続ける力〜(後編)
Posted 2020.10.02
©YOMIURI GIANTS

1軍でレギュラーを掴む選手と2軍慣れしてしまう選手の差

「小学校、中学校時代はずっとレギュラーで試合に出ていたので、当然、高校でもそうなると考えていました。同級生に実力のある選手もたくさんいましたけど『自分ならやれるだろう』と」(※)
中学時代の自分をそう振り返る松原聖弥だったが、2012年の夏、高校3年生の松原は、甲子園のアルプススタンドでメガホンを握っていた。当時の仙台育英の方針は自主性重視。朝練も居残り練習も強制ではなく、自分で考えて練習をさせる方針で上下関係も厳しいわけではなかった。当時から木製バットで自主的に練習を積み重ねていた1学年下の上林誠知とは対照的に、松原は、俊足と野球センスがあったにもかかわらず、その環境の中でいつしかラクな方へと身を置くようになったという。さらには2年生の秋、練習中にすっぽ抜けたボールが先輩の鼻を直撃したことを機に、送球難に陥った松原はレギュラー争いから脱落。プロへの道も大きく遠のいた。

そんな松原が育成枠から這い上がり、ジャイアンツの“新星”と呼ばれるまでになったのはなぜだろうか。その理由として井端は「2軍での経験」を挙げる。
「2軍では活躍できても、1軍に上がった途端に全く打てなくなるという選手もいますよね。また2軍に戻ると3割5分打ったりする。そういう選手に限って『やっぱり2軍と1軍は違う。2軍のほうが打ちやすい』などと言うのですが、僕はそんなに大きく違うわけではないと思う。もちろん1軍ピッチャーのほうがコントロールがいいといった差はあると思いますが、1軍で打てない選手は1軍に上がると気持ちまで変わってしまうというのかな。急に自信がなくなったり、舞い上がったり。2軍でやっていることをしっかり1軍でできればいいと思うんですけどね。松原選手が活躍できているのは、2軍の経験をしっかり生かせているからでしょう」

松原自身、入団2年目には念願の支配下選手へ昇格し、2軍での打率も3割を超えたが、1軍への切符を手に入れたと思いきや、持ち前の盗塁で失敗することが増え、ちぐはぐなプレーも目立つようになった。
「1軍に上がったときの自分のプレーがイメージできない」
そうした不安を抱えていたとき、松原に勇気を与えたのは、入団直後から目をかけ、厳しく指導してきた“鬼軍曹”川相昌弘氏だった。
「自分の今の持っている力を出せば打てる。今後も2軍でやってきたことを自信に、そういう気持ちでやってほしい」
2016年より3軍監督、2018年に2軍監督へ就任した川相氏は「1軍での若手台頭」をスローガンに育成指名を含めた若手を積極的に起用し、実戦の中で1点の重みを感じさせながら育成に努めた。守りやバントの技術も含め、その川相氏の徹底した指導と2軍時代の成功・失敗の体験は、今の松原にとって大きな糧となっているに違いない。

ジャイアンツ選手層の充実を象徴する松原の存在

プロ野球界では、育成枠から1軍へ上がる選手が約26%にまで増えている。その背景にあるのがジャイアンツとホークスが導入している3軍制だろう。育成選手制度自体は2005年オフからスタートしているが、単に支配下外の選手を集めれば層が厚くなるというものでもない。2軍には調整が必要な主力選手と育成中の若手選手が混在しており、支配下登録の2軍選手・約40名と育成選手に均しく試合出場機会を与えることは難しいのが現状だ。

2011年に3軍をいち早く創設したのはホークスだが、2010年の育成ドラフト2位だった千賀滉大、6位だった甲斐拓也をはじめ、石川柊太、周東佑京ら、球界を代表するスター選手が育ったのは、若手主体の3軍が社会人や独立リーグ、大学などとの他流試合において実戦経験を積む機会が広がったためでもある。球団としては対戦相手の選手をスカウティングすることもできるため、「底上げ」のメリットは計り知れない。

「ジャイアンツが3軍を始めたのが2015年。松原選手がチャンスを掴めたのは、そうした球団側の変化も大きい」と井端は語る。即戦力ではないが足が速い、肩が強いといった一芸に秀でる若手にとって、そうした近年の育成環境は、夢を実現する大きなステップとなっている。

鈴木誠也や大山悠輔、そして大谷翔平ら、日米のトップスターと同世代でもある松原聖弥だが、ジャイアンツのスタメンとして定着するのに必要なことは何だろうか。井端はこう答える。
「タイプの違う同世代の選手を意識する必要などないし、焦る必要は全くない。自分は自分という割り切りが大事ですし、松原選手の魅力は、やはり2塁打を3塁打にしてしまうあのスピード。走攻守のバランスの取れた選手になってほしいですし、身体もだいぶ大きくなってきていますが、さらに1軍の体つきになって、打撃ではもっとしっかり振っていける選手になってほしいですね」

異色の経歴で1軍へ駆け上がった松原は、兄弟の経歴もまた異色。兄の松原侑潔は大阪の強豪・桜宮高校野球部の出身で、現在は「ロングアイランド」(太田プロダクション)のツッコミ担当として度々ネタ番組にも出演するするお笑い芸人。高校時代は山田哲人のいる履正社に勝利したこともある。弟も広島の名門・広陵高校で甲子園に出場したが、野球の道には進まず、海外でラーメン修行をするなどユニークな人生を歩んでいる。毎年、年末には兄弟揃って帰省し、酒を酌み交わすというが、それぞれの道で一流への夢を追い続ける兄弟の存在も、松原の成長の原動力となっているのだろう。

「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす。能々吟味あるべきもの也」とは、松原が座右の銘とする『五輪書』の一節。千日、万日と鍛え、練習すれば、自分でも想像しなかった大きな変化が起こるといった宮本武蔵の教えだ。大人になるにつれ、「夢」を語ることは恥ずかしくなりがちだが、その恥ずかしさとは、果たして何からくるものだろうか? 松原聖弥の野球人生が示すように、「夢」は、願い続け、努力し続けた人にしか叶わない。

(了)/文・伊勢洋平

※『レギュラーになれないきみへ』元永知宏/著(岩波ジュニア新書)より