Center line 〜センターライン〜
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[連載 第27回]
甲子園に魔曲の響きは帰ってくるか(前編)
Posted 2021.02.12

令和最初の名勝負を演出した“魔曲”

2年前の夏の甲子園、3回戦。1-1で延長に突入するも決着はつかず、12回を投げ抜いた星稜のエース奥川恭伸は、智辯和歌山を相手に大会初となるタイブレークのマウンドに立った。11回の時点で右足のふくらはぎがつり、ベンチ裏で治療を受けた。そして走者1・2塁から始まるタイブレーク。アルプススタンドには智辯和歌山の「C」の人文字が浮かび上がり、「ジョックロック」のリズムに乗せたブラスバンドの大応援が鳴り響く。6回に追いつかれた失点も、智辯の“魔曲”を引き金に浴びたタイムリーだった。

魔曲に飲み込まれるか、黙らすか ――

一段と集中力を高めた奥川は、先頭打者のバントに素早く反応し3塁で封殺すると、後続の打者を152km/hの速球で連続三振。14回のピンチも気迫のピッチングで乗り切った。するとその裏、ついに味方のサヨナラ本塁打が飛び出す。令和最初の名勝負と謳われる2時間51分の死闘は、23もの三振を奪った奥川に軍配が上がった。

「自分たちがこの曲に合わせて乗るくらい、楽しんでプレーしよう」
智辯和歌山のチャンステーマ「ジョックロック」は、甲子園の舞台で数々の逆転劇を演出してきた“魔曲”として知られる。いつしか「10人目の選手」とまで言われるようになった智辯和歌山のスタンドの応援に対し、奥川と星稜ナインは、むしろ自分たちが楽しもうと、意を決して臨んでいたのだ。

2019年のドラフトの目玉と目されていた豪腕・奥川であっても、相手のブラスバンドの応援は乗り越えなくてはならない難敵だった。その半年前、奥川擁する星稜は、春のセンバツ初戦で優勝候補の履正社を3安打完封で圧倒し、その実力を見せつけた。2回戦の相手は千葉の習志野高校。その習志野の1回戦・日章学園戦をスタンドで視察した星稜ナインは、真っ先に「グラウンドの外」に脅威を感じたという。

先攻・後攻を決めるじゃんけんに勝った習志野の主将・竹縄俊希は「先手必勝で相手を攻め立てる」と、先攻を選択。ウグイス嬢が「1番・竹縄」をコールすると3塁側の応援席からブラスバンドの鋼のような大音量が響き渡った。全国屈指の名門吹奏楽部として知られる習志野高校の“美爆音”と、その演奏を目当てにスタンドを埋め尽くすファンの歓喜が加わり、甲子園は1回表から大歓声に包まれる。その音圧に体の固くなった日章の野手は悪送球やエラーを連発。1試合平均0.5失策の堅守を誇る日章学園が、初回に一挙7点を失い、あっけなく敗戦を喫したのだ。

「脅威となるのはブラスバンドだ。声も通りにくい。ミスが出ることを想定しながらやらないといけない」
そう警戒して臨んだはずの奥川だったが「少なからず応援に要因があった」と試合後に語るように、バッテリー間や野手との意思疎通は、習志野応援席の渾身の“美爆音”に乱され、奥川自身も集中力を欠いた。結果は10奪三振を奪うも7安打を喫し、1-3の敗戦。夏の大会で智辯和歌山の「ジョックロック」を黙らせた奥川の気迫のピッチングの裏には、そうした春の苦い経験があった。

スタンドの応援が球児たちの精神力を強くする

昨今の高校野球において、ブラスバンドの演奏は単なる母校の応援の域を超え、まるでロックコンサートのように球場の一体感を作り出す、凄まじい力を秘めている。鍛えられた技術と計算されたタイミングで打線を鼓舞する彼らの演奏は、一般の観客を巻き込み、球児たちの勝利の行方をも左右する。その一体感が球場を支配し、甲子園の魔物を目覚めさせるのは、劣勢のチームが反撃に出るときだ。

2016年の夏、現・中日ドラゴンズの藤嶋健人率いる東邦 vs 八戸学院光星もまた、スタンドの応援が奇跡を呼んだ一戦として記憶に新しい。エースで4番の藤嶋を3回でマウンドから引きずり下ろし、7回時点で7-2とリードを奪ったのは八戸学院光星。だが、諦めない東邦は7回裏、藤嶋が意地のタイムリーで2点を返すと8回にも犠飛で1点を重ね、4点差。そして東邦の追い上げムードで迎えた9回。チアガールの「We are TOHO!」のコールに続き、全国トップクラスのマーチングバンド部が「戦闘開始」を響かせるとスタンドの手拍子に球場全体が呼応。タオルを回す東邦の応援が一般の観客にも波及する異様な雰囲気の中、東邦はついに4点差をひっくり返すサヨナラ逆転劇を演じた。

甲子園は、立地柄、近畿勢を応援する観客が多いにせよ、プロのようなホーム&アウェイはない。中立で観ている多くの観客は、ある意味、残酷でもあり、白熱した試合、劇的な展開をつねに望んでいる。一方、選手たちは負ければ終わりのノックアウト方式。反撃の狼煙を上げるチャンステーマが球場の雰囲気を一気に変え、選手のプレーに影響を及ぼすのは当然のことだろう。「ジョックロック」が魔曲と呼ばれる所以は、まさにそこにある。

過熱する応援は、もちろん批判もあるが、星稜の奥川がそのプレッシャーを乗り越えてプロになったように強豪校の高校生たちを大きく成長させるものでもある。東邦に逆転負けを喫した八戸学院光星の仲井宗基監督は、試合後、こう語った。
「もっと甲子園で応援してもらえるチームにならないといけない」
もともと全国のエリート球児を野球留学で集めてきたことから「外人部隊」と揶揄されることもあった。それが全力疾走を怠ったり球審に文句を言うようでは、球場を味方につけることはできない。仲井監督の徹底した意識改革から出直した八戸光星は、2019年夏、智辯学園に一挙7点の大逆転を許すも、9回に再逆転するという壮絶な打撃戦を制し、続く海星戦でも劇的なサヨナラ勝ち。その夏、最も甲子園を沸かせたチームとなった。

2020年は、コロナ渦によって、史上初の春夏開催中止となった甲子園。だが、高野連は、今年の春のセンバツから有観客での開催を視野に、応援団の入場も認める方針で準備を進めている。ファンの心を震わせて止まない名曲の数々は、果たして甲子園に帰ってくるだろうか。

(つづく)/文・伊勢洋平