Center line 〜センターライン〜
元読売巨人軍・井端弘和氏が、野球にまつわる様々なテーマを、独自の目線で深く語るYouTubeチャンネル『イバTV』を配信中! コラム 〜センターライン〜 では『イバTV』の未公開部分を深堀りし、テーマに沿ってお届けします。
[連載 第30回]
感謝と希望を白球に込めて(後編)
Posted 2021.04.09

とにかくいいプレーを見せること、それしかない。

「2年分の春、すべての高校野球がこの甲子園に戻ってきた」
東海大相模の門馬敬治監督は、優勝インタビューでそう熱く語り、接戦を演じた相手・明豊高校と大会関係者へ深々と頭を下げた。春のセンバツは、まさに2年分が濃縮されたような連日の好ゲーム。延長は7試合で大会史上最多、サヨナラでの決着は大会初のタイブレークを含む6試合、全31試合のうち約半数の16試合は2点差以内という緊迫した試合が続いた。好投手が多かったことや、組み合わせ抽選会が早めに行われ、相手高校の戦力分析に時間を費やせたこと、ブラスバンドの演奏を制限したスタンドの雰囲気も影響しただろう。投高低打が如実に表れた甲子園となったが、球児たちの粘り強く諦めない一投一打に、多くの人々が勇気をもらった。

一方で今大会は、出場校の選手たちが、野球を通じて、自分を取り巻く社会や自分の生きる時代と向き合う大きな機会となった。選手たちが必ず口にするのは「野球ができること」への喜びと感謝の気持ち。もちろん、彼らはふだんから支えてくれる家族や寮の方々、チームの関係者や地元の人々への思いを胸に、甲子園の舞台へ挑む。だが、災害や今回のコロナ禍のように、開催そのものが危ぶまれるステージでは、それまで以上に多大な努力を必要とし、さらには多くの人々への配慮があって開催への合意が形成される。

それはプロスポーツであっても同じことだ。「10年前の東日本大震災のときは、本当に多くの葛藤があった」と井端弘和は言う。
「津波被害の状況を見たら『こんな大変なときに野球をやっていいのか』と思いますよね。とはいえ、シーズンが始まったら始まったで、迷ったままではいけない。自分たちプロ野球選手にできることは、とにかくいいプレーを見せること。そういう思いしかなかった」

10年前の3月11日、地震発生時に開催されていたプロ野球のオープン戦は、ほとんどがコールドゲームに。横浜スタジアムでは観客をグラウンドへ降ろして避難させ、交通機関の復旧を待った。楽天の本拠地であるKスタ宮城は損壊し、千葉のマリンフィールドも液状化が発生したため、開幕は4月29日まで延期に。関西へ遠征していた楽天の選手たちは、仙台へ戻る交通手段すらなく、震災から27日後にようやく地元へ帰ることができたが、そこには未曾有の震災の爪痕が残っていた。ジャイアンツやライオンズも含め、被害のあった関東以北のチームは、しばらく主催試合を自粛するなど、異例ずくめのシーズンとなった。

「楽天はあの年、できれば優勝したかっただろうけど、そう簡単なものではない。けれど、やっぱり選手たちはあの震災から、優勝してやろうという強い思いをずっと持っていたと思う。今まで応援してくれた地元を勇気づけたいという思い、それが2年後の日本一につながった。震災から10年の今シーズンだって、きっと楽天の選手たちは思っているはずです。『やってやろう』って」

感謝の気持を持てる人が、強くなれる人。

「自分のため」「チームのため」から、「誰かのため」に懸命にプレーしようという思いは、自分をさらなる高みへ導くための大きな原動力となる。感謝の気持ちが強い一流選手ほど、人としても強い。イタリアの名門インテルで活躍し、サッカー日本代表としてワールドカップに最も多く出場した長友佑都は「恩返しをしたいという感謝の心が力を与えてくれる」と語った。また、MLBで3000本安打を達成したイチローは、その瞬間をこう表した。
「僕にとって3000という数字よりも、僕が何かをすることで喜んでくれることが、何より今の自分にとって大事なことだと再認識した瞬間だった」。
同じくメジャーの舞台で活躍し、この年、楽天に戻ってきた田中将大は言うまでもないだろう。

春のセンバツで頂点に立った東海大相模は、ちょうど10年前、東日本大震災の直後に行われた第83回大会でも優勝旗を手にしている。
「いま何ができるかはわからないが、ひたむきに戦うことを貫こう」
門馬監督のそうした覚悟に呼応し、圧勝を重ねた当時の球児たちも、甲子園を通じて多くのことを感じながら成長した。優勝後、東海大相模の佐藤大貢キャプテンは、被災して給水活動をするさなかに出場し、初戦で散った東北高校の選手たちを思いやり「もう一度、彼らの元気なプレーが見たい」「このメダルは東北の選手に掛けたい」とエールを送った。門馬監督は、その後、日本野球連盟の主催でスタートした「東北復興野球交流試合」にもいち早く参加し、津波で壊滅的な被害を受けた名取市の宮城農業と対戦。試合を行うだけでなく、部員たちを連れて相手校の仮設校舎を訪ね、交流を重ねた。コロナ禍のような苦難を乗り越えて優勝するチームというのは、そうした人間力を磨いてきたチームなのかもしれない。

この難しい状況下で大会に出場し、成長した選手たちは、いずれ次世代をサポートすることで感謝される側となる。そして、その感謝の連鎖は、再び来たるべき困難を乗り越える力になるだろう。2年ぶりの球春が成功裏に終えたことは、数年後、数十年後の未来にとっても、大切な意義があったに違いない。

(了)/文・伊勢洋平