Center line 〜センターライン〜
元読売巨人軍・井端弘和氏が、野球にまつわる様々なテーマを、独自の目線で深く語るYouTubeチャンネル『イバTV』を配信中! コラム 〜センターライン〜 では『イバTV』の未公開部分を深堀りし、テーマに沿ってお届けします。
[連載 第32回]
心の野球 〜グラウンドの神様が微笑むとき〜(後編)
Posted 2021.05.14

田中将大、黒田博樹が示した“心”の野球

“心”といえば、日本球界では、田中将大が8年ぶりに楽天イーグルスに戻ってきた。
「あれだけのピッチャーが32歳という年齢で戻ってきてくれて、日本のプロ野球界は大きな楽しみが1つ増えたよね」
2013年にシーズン無敗最多勝の勝率10割という記録を残してヤンキースへ入団した田中が、7年に渡るMLBでの活躍を経て、どんな投球を見せてくれるのか。井端にとっても大きな楽しみだ。

日米ともコロナ渦の続くシーズンオフ、厳しい球団経営を強いられるヤンキースは、今季の年俸総額を抑える方針を打ち出した。FAとなり初めて球団を選べる立場となった田中には、ワールドシリーズ制覇という未だ果たせていない大目標もあり、他球団からは巨額のオファーがあったと目されるが、さまざまな選択肢がある中で、楽天イーグルスへの復帰を決断。
「楽天を離れたとき、キャリアの晩年ではなくてどこかいいタイミングで、また日本でバリバリ投げたいなという思いはあった」
そして、その意味のあるタイミングと感じたのは、東日本大震災から10年の節目だった。会見で語ったその田中の“心意気”は、東北のファンはもちろん、贔屓のチーム関係なしに日本の野球ファンの心を熱くさせた。

「田中投手が楽天に復帰することで、チームに与える影響、若手に与えるいい影響も当然あるでしょうけど、メジャーリーグから戻ってきた選手が与えてくれるのは、やっぱりファンのワクワク感というのか、それが一番ですよ」
そう井端は語る。かつて田中がヤンキースへ入団したとき、すでにMLBで5年連続2桁勝利を挙げ、毎年クオリファイング・オファーを受けて活躍していた黒田博樹も、2015年に古巣・広島カープへ電撃復帰を果たした。

黒田の場合、当時40歳とはいえ、199イニングを投げ、チームメイトや投手コーチからも絶大な信頼を得ていたヤンキース先発陣の要。複数の他球団含め、推定20億前後のオファーを提示されたが「最後の1球は広島で投げたい」と23年間優勝していないカープのために、残りの野球人生を賭けた。専修大学時代、声をかけてくれたスカウトに恩を感じて逆指名入団して以来、黒田のカープ愛は揺るぎなく、また安佐南区を襲った土砂災害の際、被災地入りしたこともその決意につながったという。

黒田の男気に広島中が歓喜した。日本復帰後も2桁勝利を続けた黒田は、2016年9月10日、先発を託されたゲームでチームをリーグ優勝へ導き、地元広島が空前のフィーバーに包まれる中、まさに球界のレジェンドとなった。

北海道の永遠のヒーローとなった新庄剛志

さらに遡れば、大谷より20年前に二刀流に挑戦した新庄剛志もまた、キャラクターは異なるが、心ひとつで球界を盛り上げ、波乱の野球人生を歩み続ける稀代のヒーローだ。

強肩を活かした華のある守備で、90年代後半、すでにゴールデングラブ賞の常連となっていた新庄は、FA権を取得した2000年、5年総額12億円と推定される条件が提示されたにも関わらず、当時のMLB選手の最低保証額である年俸20万ドル(2200万円)でニューヨーク・メッツへ移籍。ニューヨークでも人気者となった新庄は、サンフランシスコ・ジャイアンツでワールドシリーズにも出場。3年間のメジャー生活ののち、2004年に北海道へ拠点を移すことが決まったばかりのBクラスチーム、日本ハムファイターズへ入団する。

朴訥なチームの雰囲気が気に入った新庄は「札幌ドームを超満員にして、日ハムを日本一にする」と宣言。「新庄劇場」と称される史上空前のファンサービスを次々と打ち出し、打率もキャリアハイを達成すると、移籍初年度でプレーオフに進出した。2006年には自らの引退宣言でチームを奮起させて44年ぶりの日本一に導くなど、かつて野球不毛の地といわれた北海道の球場は、新庄の入団を機に老若男女の野球ファンであふれ返った。

奇しくも新庄が入団した2004年は、球団再編問題を機にストライキが行われるなど、ファンの野球離れが危惧された時期だった。その中で、何よりもファンを大事にし、ファンに愛された新庄の“心の野球”は、のちに開花するパ・リーグ人気の原点でもある。
「プロにとって結果はとても大事。だから僕らは準備を怠らない。でも、結果に縛られてはいけない。答えよりもっと大事なことは、勇気を出して自分を試すこと」
アニメ『キャプテン』の主題歌の一節に自らの信念を重ねる新庄は、昨年も現役復帰に挑戦し、自著で記した「SHINJOドリームチーム構想」では、外野2人内野5人体制による守備野球の追求や、メジャー並みの1軍・2軍の格差導入を提案するなど、今なお数多くの斬新なアイデアを発信し続けている。

“心”の持ちようはそれぞれ違うが、“心”はプロアスリートがプレッシャーを超越し、大舞台でファンの期待に応える土台のようなもの。かつて黒田博樹や新庄剛志がファンをひとつにして、チームを優勝に導いたように、グラウンドの神様もまた、その“心”に味方するものだ。

「もちろん、メジャーリーグに行って向こうの球界で燃焼するのも選手の美学。でも、本心では、いまメジャーに行ってるダルビッシュもマエケンも、最終的にみんな戻ってきてほしい」
そう井端は語る。
「だって、やっぱり観たいじゃないですか。アメリカで実績を積んだ彼らが戻ってきて、日本でどんなプレーを見せてくれるのか」

(了)/文・伊勢洋平

参考文献
『もう一度、野球選手になる』新庄剛志/著(ポプラ社)