Center line 〜センターライン〜
元読売巨人軍・井端弘和氏が、野球にまつわる様々なテーマを、独自の目線で深く語るYouTubeチャンネル『イバTV』を配信中! コラム 〜センターライン〜 では『イバTV』の未公開部分を深堀りし、テーマに沿ってお届けします。
[連載 第36回]
東京五輪開幕 〜侍ジャパンの闘いは、魂の復興へ〜(後編)
Posted 2021.07.30

最後まで諦めない! 復興五輪を体現する劇的勝利

「サードランナーを返したいという気持ちだけ。その気持だけで打席に立っていた」
1-3の2点ビハインド、9回1死からドミニカのベースカバーミスによって柳田が出塁。代打近藤が仕事を果たすと、村上の適時打と甲斐のスクイズでついに同点。さらに山田がつないで満塁とした。打席が回ってきたのは侍ジャパン最年長の坂本勇人。相手投手マリネスの初球を迷いなく振り抜くと、打球は中堅の頭上を越え、侍ジャパンは福島の地で逆転サヨナラという劇的な初戦勝利を飾った。

8回までは五輪の重圧がベンチを支配する重苦しい展開が続いた。継投後2点を先制され、9回にも追加点。誰が見ても敗色濃厚だった。
「最後まで諦めない気持ちがひとつになって、いい形にできた。福島の皆様に少しでも何かを与えられたというか、感じてくれたのではないでしょうか」
あづま球場での初戦を振り返って、稲葉監督はそうコメントした。

福島でのゲームは無観客開催となったが、先んじて行われたソフトボールでは日本代表が熱戦を演じ、米国代表やオーストラリア代表は、記者会見で福島の景観や特産の桃、大会運営について称賛するなど、現場では「復興五輪」の思いが国籍を問わず伝播していた。仙台で行われた侍ジャパンの強化試合2戦には約2万7000人の観客が集い、楽天の浅村栄斗や田中将大が躍動。福島入りした際も、駅に集ったファンから声援を受け、宿舎では県産の農産物が振る舞われた。

「支えてくれた方たちの分まで、しっかり戦わなくてはいけない」
「侍ジャパンが福島で頑張ってくれた、と言われるような活躍をしたい」
そうした日本代表の決意は、日本中のファンに届いたに違いない。コロナ渦によって「復興五輪」の意義さえ失われかけた今回の東京五輪だが、プロの戦士たちは仲間の思いをつなぎ、逆境をはねのける真の復興精神を体現してくれた。

1984年以来の金メダル奪還へ向け、横浜での決戦へ

五輪には、色に関係なくメダルが獲れれば祝福される競技と、金メダルでなければ敗北に等しいくらいの競技がある。野球は、後者の最たるものだ。日本はワールド・ベースボール・クラシックにおいて出場国中最多2回の優勝を誇り、通算成績でも世界トップの野球強国。だが一方、五輪の舞台では辛酸を嘗め続けている。

金メダルを取ったのは、初めて野球が公開競技として行われた1984年のロス五輪。予選で敗退していたもののキューバのボイコットによって出場機会を得た日本代表が躍進し、準決勝で台湾、決勝でアメリカを破った大会だ。以降、野球が五輪種目から外れていた時期はあるが、37年もの間、日本は頂点に立っておらず、プロ選手の参加が解禁となった2000年シドニー大会では、松坂大輔、黒木知宏、松中信彦、中村紀洋ら8名のプロを招集するも、アメリカ、キューバ、韓国に立て続けに敗れてメダルを逃した。

さらに、長嶋監督のもと各球団から2名ずつ選出するオールプロ選手で挑んだ2004年のアテネ大会では、史上最強と謳われながら、伏兵オーストラリアに2敗を喫して3位。2008年の北京大会は準決勝で宿敵・韓国に敗れると、3位決定戦もアメリカに逆転負けを喫し、終わってみれば4勝5敗のメダルなし。3A主体のオールマイナーチームに敗れた日本代表がベンチで呆然と立ち尽くす姿は「屈辱の北京五輪」として野球ファンの脳裏に刻まれている。

野球人気の復興にとってもカギとなる大一番

「五輪の借りは五輪で返す」とつねに口にする現侍ジャパンの稲葉監督は、その悔しさを最も知る北京五輪の代表戦士。12年ぶりに開催される今大会で、悲願の金メダルを奪取できるかは、東京五輪最大の焦点のひとつだ。五輪の大舞台で着実に勝利をもぎ取るために、稲葉監督は2019年に初制覇を果たしたプレミア12の経験者を軸に侍ジャパンを招集。稲葉監督と同じく北京五輪の雪辱を誓う田中将大が加勢し、新たに森下暢仁や平良海馬ら期待の新星、栗林良吏や伊藤大海といった楽しみなルーキーも加わった。

侍ジャパンの内野守備・走塁コーチと強化本部編成戦略担当を兼任する井端弘和は、今回の布陣についてこう語る。
「プレミア12のメンバーを中心に据えるのは、やはり4年間準備してきた過程もあるし、その中で国際大会にめっぽう強い選手もいる。ただ、キーマンが誰かと言えば、それは若い選手も含めて全員だと思っています。登録選手も24人に減った中で、誰かの調子が上がらなければ、それをみんなでカバーしあわなくてはならない」

五輪は新たなヒーローが誕生する舞台。決勝が行われる2日後の8月9日には夏の甲子園がスタートする。今どきの強豪校には在学中からメジャーを目標とする球児も多い。侍ジャパンの、とくに若手選手が世界の舞台で活躍することは、彼らへ大きな夢を与えるだけでなく、若年層への野球人気復活にも間違いなくつながるだろう。2021年は球界にとってもビッグイニングだ。

金メダルしかないのは、選手の誰もが分かっている

一方で、稲葉監督は、雪辱を胸に秘めつつも「精神的な部分では選手を少しでも楽にさせてあげたい」と言う。北京五輪では「全勝優勝」の命題がさらなるプレッシャーとなり、負の連鎖を呼んだ苦い経験があるためだ。コーチの井端弘和も開幕の1ヶ月前にはこう口にしている。
「もうね、五輪のことを考えると今から胃が痛くなる思いですよ。でも、胃が痛くなったりガチガチに緊張するのは監督やコーチだけでいい。選手にはむしろ伸び伸びとプレーして欲しいです」

東京五輪は出場6国が2グループに分かれての総当り戦から、ダブルエリミネーションでのトーナメントに移行する対戦方式。トーナメントで敗れても敗者復活のサブトーナメントを勝ち上がれば優勝のチャンスがあるのが今大会だ。過度なプレッシャーを排し、むしろ挑戦者として11日間の戦いをどう駆け上がっていくか、気持ちのマネジメントが重要な大会でもある。

もちろん「いい結果」が金メダルしかないことは選手の誰もが分かっていること。出陣の準備も整う田中将大は「前回の悔しさは忘れていない」と口元を引き締め「日本の皆さんに、野球に夢中になってもらえるようなプレーができたら」と思いを語る。東北の地から沸き起こった東京五輪のボルテージを最高潮にするのは、侍ジャパン24人の戦士たちの熱き戦いだ。

(了)/文・伊勢洋平