Center line 〜センターライン〜
元読売巨人軍・井端弘和氏が、野球にまつわる様々なテーマを、独自の目線で深く語るYouTubeチャンネル『イバTV』を配信中! コラム 〜センターライン〜 では『イバTV』の未公開部分を深堀りし、テーマに沿ってお届けします。
[連載 第38回]
チームの結束を生む、名将の監督力(後編)
Posted 2021.09.17

レギュラーから外れても、人生のメンバーからは外れるな

今夏の第103回全国高校野球選手権大会では、名監督の勇退が話題となった。浦和学院を率いて春夏22回の甲子園出場を果たし、選手やコーチから「大将」と慕われた森士監督もその1人。最後の夏は、日大山形に4-3の1点差で惜敗したが、選手たちからは感謝の言葉が相次いだ。主将の吉田瑞は「監督と過ごした1日1日がすべて思い出です」と、厳しさの中にも愛情あふれる監督の指導を振り返って涙した。バッティングで活躍した3年生の藤井一輝は「技術はもちろん、人間としての強さを教わった」と語る。

幼少期から礼儀に厳しい父親のもとで育った森氏は、全国制覇を目標に置きながら、その目的を人間形成だとつねに語っていた。
「今の高校球児は、トレーニングや栄養指導も進んで、体つきやスピード、技術は大きく進化している。その反面、我慢強さや自分自身を磨いていく部分、社会性という部分は劣ってきているかもしれない」

30年にわたる指導の中で、森氏が球児たちに厳しく説いてきたのは「自分が自分を高める」自己責任だ。これには、例えレギュラーから外れたとしても「人生のメンバーからは外れてほしくない」という気持ちも込められているという。森氏は夏の大会前の練習中にも「したいプレーを鮮明に描け!」と激を飛ばしていたが、それは自己研鑽のために不可欠な、全てのアスリートに通ずる金言ではなかろうか。

勝てる監督は、徹底するべきことをシンプルに伝える

東京五輪や甲子園では指揮官の手腕も見どころのひとつとなったが、勝てる監督、いい監督とはどういう監督なのだろうか? 井端弘和は次の3つを挙げる。
「ひとつ言えるのは『自分はこういう野球をやるんだ』ということを選手に明確に伝えられるか。それと、いかに選手がやりやすい環境を作るかってことだと思うんですよね。もちろん選手の能力もありますが、伝えることと環境を作ることはどんなチームでもどの監督でもできるんじゃないか。あとは『勝負の一手を打てるか打てないか』。戦力差があって結果負けたとしても、手を打って負けたなら納得も成長もあるでしょうし、失敗を恐れて全く手を打たないのとは全然違う」

井端の選手時代を振り返っても、監督の「伝え方」はチームにも大きく影響するという。
「プロ野球のシーズンは長丁場ですし、監督が『徹底するところはコレとコレだよ』と選手にシンプルに伝えられることが非常に大事だと思う。例えば『この球は打っちゃダメだから1年間徹底しよう』と言ってるのに、打てないワンバンをいつまでも振ってるような選手なら、替えられても仕方ないと本人は納得します。それをただ『チャンスで打てないから』とか『結果が出てないから』という替え方では、選手は萎縮しますし『やばい、次は俺か?』みたいにチームにも連鎖反応が起こりますよ」

高校野球の方が、勝つための戦術は徹底している

「徹底するという点では、実は高校野球のほうがいい試合運びをしてると思うんです」
そう井端は語る。
「プロ野球なら3点差で勝っていればバントせずに打っていくものですが、高校野球では4-0でリードしてるにも関わらず、バントしてさらに追加点取りにいったりしますよね。僕はその方が勝つ確率は高くなると思うんですよ。4-0とはいえ、向こうに2点取られたら次のワンチャンスで同点ですから。リードした後1点ずつ積み重ねていく野球というのが、相手にとって一番ダメージを与えるんじゃないかと思います」

勝負に徹する高校野球の策士として、真っ先に思い浮かべるのは、御年65歳で今夏も甲子園通算勝利数を54に伸ばした明徳義塾の馬淵史郎監督だろう。PL学園や智弁和歌山、横浜高校、桐蔭学園といった東西の名だたる強豪を相手に大熱戦を演じてきた馬渕監督の信条は「耐えて勝つ」。相手投手を打てないと思えば徹底的にバントを練習して勝機を見出し、ときに敬遠策を取ってでも勝ちにこだわる馬淵野球は、まさに弱きが強きを倒す高校野球の真骨頂だ。
「ここを我慢して敬遠したら、あとは俺が勝たせたる」
高知の人里離れた山間での寮生活、そして“道場”と呼ばれるグラウンドで野球漬けの日々を送った選手たちは、そんな名将の粋な言葉に呼応し、甲子園で幾多の名勝負を繰り広げた。

星稜・松井秀喜への5敬遠と、選手たちのその後

「馬淵さんといえば、あの松井さんへの5敬遠があまりに衝撃的でしたが、後の松井さんの野球人生を見れば、やはりあれだけのことをさせる選手だったわけですよね。そういう意味では、本当に見る目のある監督なんだなと思いますよ」と井端は言う。
「僕ら(堀越高校)は、春の選抜で松井さんに勝負を挑んで3ラン打たれてますが、そりゃそうだよねっていうか。そこを明徳は、甲子園で優勝するために松井さんを敬遠して勝った。僕らは甲子園に出場したことに満足していて、その先の優勝という目標設定がなかったんです。だからああいう策は出なかったんだと、今振り返ると思いますね」

5敬遠が物議を醸した4年後の2002年夏、信念を貫いて選手たちを優勝へ導いた馬淵監督は、テレビ番組で次のように語っている。
「親御さんはみな、将来子どもが立派な人間になってほしいと願っている。だから高校野球が教育の一環であることを絶対に無視してはいけない。それでも『勝ちたい』と思ってやらなんだ教育にはならん。勝ちたいと思うからこそ努力も練習もするし、負けても勉強になる」

あの時、松井に対して5敬遠を徹底した明徳義塾の投手・河野和洋は、現在、帝京平成大学(千葉2部)の監督として野球部の強化に尽力。勝ちにこだわる馬淵野球を継承し、学生たちを育てている。一方、松井に勝負を挑んだ堀越高校のエース・山本幸正も、プロ退団後はアパレル業界で活躍していたが「野球に恩返しがしたい」という思いから学生野球資格回復制度の研修を受け、野球教室を開設。それぞれが、甲子園で培った経験や理念、そして野球への情熱を、後進たちへ伝えている。

(了)/文・伊勢洋平

参考文献
『甲子園!名将・馬淵語録』寺下友徳/著(徳間書店)