Center line 〜センターライン〜
元読売巨人軍・井端弘和氏が、野球にまつわる様々なテーマを、独自の目線で深く語るYouTubeチャンネル『イバTV』を配信中! コラム 〜センターライン〜 では『イバTV』の未公開部分を深堀りし、テーマに沿ってお届けします。
[連載 第42回]
不可能を可能にする、言葉のマジック(後編)
Posted 2021.12.17

「絶対、大丈夫」その言葉の効果とは

言葉の力といえば、今年のプロ野球界ではヤクルトスワローズ高津臣吾監督の“魔法の言葉”が話題となった。
「もしグラウンドに立つときに思い出したら、『絶対、大丈夫』と一言言ってマウンドに立ってください。絶対、大丈夫ですから」
高津監督がそう選手に伝えたのは、ヤクルトが3位で迎えた9月7日、首位阪神との直接対決の試合前。試合は高卒2年目の奥川恭伸が阪神打線を6回2安打に封じ、打っては、自身も「絶対、大丈夫」と唱えて打席に立ったという村上宗隆が32号3ランを放つ。18安打の猛攻を見せたヤクルトは、12-0で圧勝。この試合を機に優勝へと駆け抜けていった。

その高津監督の言葉を、井端弘和はこう解釈する。
「あの言葉は、監督が責任を引き取るよということを再確認させるものだったと思います。『お前らは自信持ってマウンドに立て、打席に立て。それでダメだったらベンチの責任だから』というね。選手って『打てなかったら自分の責任だ』とか『クビかもしれない』とか思いながら試合に臨むと全然力を発揮できませんから。それを取り除いてくれると、本当にラクに打席に立てる。僕はね、もし、個々の成績など一切関係なく、チームの勝利だけで選手の給与が決まるとしたら、みんなもっと打つんじゃないかって思うんですよ」

日本一を手繰り寄せた高津監督の言葉の力

「野球は言葉のスポーツだ」とさえ言い切る高津監督の言葉のマジックは、そうした選手の余計な不安を取り除き、相手に傾きかけた流れをグッと引き戻すことにある。優勝争い大詰めの10月21日の広島戦では、塩見泰隆がセンター前ヒットを処理する際にまさかの後逸。そこから相手打線がつながり、逆転の大敗を喫した。塩見は周囲の慰めも一切覚えていないほどのショックを受けていたが、高津監督は試合後すぐにこう言った。
「負けること、ミスを恐れてグラウンドに立つなんて絶対にしてほしくないし、全力でプレーしてくれたらそれでいい」
気持ちを切り替えた塩見は、ポストシーズンの攻守にわたる活躍で、その言葉に応えた。

また、日本シリーズ第5戦、同じ外国人選手として格上のアダム・ジョーンズの一発に沈んだスコット・マクガフに対しても高津監督は、こう言葉をかけた。
「僕はまったく気にしていない。あなたに任せている」
初戦でもサヨナラ打を浴びているクローザーのマクガフに対し、もはやオリックス打線は脅威と感じていない。しかも東京ドームで決めきれずに神戸へ戻っての第6戦、ヒリヒリするような接戦の中での起用は判断の難しいところだろう。だが、高津監督は延長10回同点の場面で迷わずマクガフをマウンドへ送った。マクガフが1つのアウトを取ると、その度に内野陣が駆け寄って鼓舞する。マクガフはシーズン中もなかったイニングまたぎの奮闘で延長12回の死闘を締め、ナインとともに喜びを爆発。その姿は野球ファンの心を熱くさせた。井端の言うように個々の失敗や成功は関係ない。勝利のために一丸となったヤクルトとオリックスの激闘は、改めてポストシーズンのあるべき姿を示してくれた。

的確な言葉は、心理的なギャップを埋めてくれる

「選手がやる気を出すのも、凹むのも、裏方の一言次第」と語ったのは、92年のバルセロナ五輪で左膝を負傷しながら金メダルに輝き、今年3月に急逝した柔道家、古賀稔彦さんだ。古賀さん自身、88年のソウル五輪では「金メダル間違いなし」と周囲から持ち上げられる一方「負けたらどうしよう」という不安が拭えず、3回戦でまさかの敗北を喫した経験を持つ。「舞台が大きくなるほど選手は繊細になる。だからこそ、裏方の仕事は重要」。その重要な要素のひとつが、選手一人ひとりに合った「言葉がけ」だという。

かつての昭和の道場といえば、指導のほとんどが根性論であり、体罰も何ら珍しくなかった。古賀さんが柔道を始めた子供時代、最初に通った道場でも竹刀を持った師範が子どもたちを叩きながら指導を行っていた。だが、古賀少年が家でその様子を伝えると、父親はすぐさま「辞めるぞ」と言い放ち、子どもたちと頻繁にコミュニケーションを取りながら指導する道場へ通わせたという。そうした原体験も影響していたのだろう。古賀さんは、現役引退後、川崎市に自らの柔道塾を開いて人間教育につとめるなど指導者としても尊敬を集め、男子の一流選手としては珍しい女子代表の強化コーチに就任。2004年のアテネ五輪で愛弟子の谷本歩実を世界の頂点へ導いた。

高津監督もまた、自身とタイプは異なるが故・野村克也さんという言葉を大事にする監督のもとで現役時代を送り、のちにMLB、韓国、台湾、さらに独立リーグを経験。指導者としては2020年のヤクルトの二軍監督から出発した。生前、野村さんは雑誌のインタビューでこんなことを語っている。
「高津は私の教え子では珍しく選手に人気がある。人間性がいいのだろう。二軍監督からスタートしたという経歴は非常にいいと思う。期待できる」(※1)

高津監督の言葉の力は、実際、二軍監督時代の経験によるところが大きい。二軍にはフレッシュな若手選手もいれば、一軍で通用せずに戻ってくる選手や故障に苦しむベテランもいる。そうした二軍で指導者のやるべきことは何か。「ギャップを埋める手伝いをすること」「徹底的に準備し、一軍に上がったときのメンタルダウンを防ぐこと」だと、高津監督は自著に記している。高津監督自身、プロ入団当初は、ギャオスこと内藤尚行の抜群のコントロールを見て「大変なところに来てしまった」と自信を失ったという。
「ギャップを感じて落ち込んでいる選手に『これがプロの世界だ。お前もしっかりせんとな』と言っても無駄だ。それよりもいいところを見つけることが心理的なギャップを埋める作業につながる」(※2)
また、「頑張れ」という言葉一つでもルーキーとベテランでは受け取り方も違う。リハビリ中の選手に「頑張れ」は重たいかもしれない。そうした言葉の一つひとつを使い分けたり前向きな言葉を探すようになったのも、二軍監督時代からだ。

言葉は、相手に響かなければ意味がない

「ヤクルトは二年連続最下位で、優勝経験のない若い選手も多かった。だから、そこに言葉が必要だった。でも、同じような言葉を来年かけて効果があるかどうかはわからない。むしろ『ボチボチ行こうか』っていうくらいの方がギアが上がるかもしれません」
そう井端は語る。2004、2006、2010、2011年とリーグ優勝を果たし、黄金時代を築いた井端の現役時代のドラゴンズは、選手一人ひとりが何をすべきか分かっている、ある意味、大人のチーム。監督が言葉をかけて檄を飛ばすようなことはほとんどなかったという。
「それでも年に1、2回『ここから行くぞ』という、合図のようなミーティングはあったんですよね。優勝争いをしていると、そういうタイミングというものが勝手に訪れる。そこでミーティングを開くだけでもスイッチは入ったかなと」

井端自身は、コーチとしてもむやみに選手に声をかけることはしない。
「一方的に手を差し伸べたところで、選手自身が本気で悩んでいなければ『聞いて5割』。その言葉は響かない。基本的なことを伝えても『そんなの分かってるよ』という選手もいれば『やっぱりそれが基本なんだな』と受け止める選手もいます。やるのは選手ですし、ある意味、苦しむほどいいと僕は思ってる。そして人に頼ろうと思ったときこそ、その悩みは本物だと思います」

与えられたメニューをただこなす苦しさと、選手が自主的に考えて取り組む中での苦しさは、全く性質の異なるものだ。
「160km/hを投げたい」「金メダルを取りたい」「一軍に定着して活躍したい」
そうした目標のために何をするべきか、考えて努力し続け、どうにもうまく行かなかったとき、活路を見出してくれるのが「ひらめき」や「言葉」なのだろう。来シーズンのスワローズの選手たちには、今シーズンとは違った悩みや不安を抱える局面が訪れるに違いない。連覇を命題とする高津監督は、そのときどんな“魔法の言葉”をかけるだろうか。

(了)/文・伊勢洋平

※1 『週刊ポスト』(小学館)2020年1月17・24日号より
※2 『二軍監督の仕事』高津臣吾/著(光文社)より