Center line 〜センターライン〜
元読売巨人軍・井端弘和氏が、野球にまつわる様々なテーマを、独自の目線で深く語るYouTubeチャンネル『イバTV』を配信中! コラム 〜センターライン〜 では『イバTV』の未公開部分を深堀りし、テーマに沿ってお届けします。
[連載 第43回]
明日の自信を生み出す「もうちょっと」の準備(前編)
Posted 2022.01.07

一流選手に準備を怠る者はいない

「構えとは、起こりうる全ての状況に対応できる準備である」
そう説いたのは、武道家であり伝説のアクション俳優として知られるブルース・リー。1960年代、すでに現代に通用するトレーニング理論やコンディショニングを実践していた彼は、俳優として多忙をきわめる中でも自分専用のギアを携行し、毎日のトレーニングを欠かさなかった。そして、実戦に際しての準備へのこだわりは、代表作『燃えよ、ドラゴン』の対決シーンを演出するウォームアップにも表れている。BGMを一切使わず淡々と描かれるクライマックスへの序章は、“準備”と“構え”が戦いの延長線であることを物語っている。一瞬の勝負とは、準備からすでに始まっているのだ。

野球選手においても、一流選手ほど入念な準備を積み重ねて試合に臨む。日米通算4367安打のとてつもない偉業を達成したイチローは「準備の鬼」と呼ばれていた。試合が終わった後は夕食までの間にトレーニングを行い、次の試合に備えて2時間のマッサージを行う。試合が終わった後から次の試合への準備が始まっている。現役選手であれば、オリックス・バファローズのリーグ優勝の立役者・吉田正尚も、白湯を朝に飲むことから始まるという毎日のルーティンが確立されている。球場入り後のウォームアップ、打撃練習、そして試合中のネクストバッターズサークルから打席への一連の動作に至るまで、変わらぬ準備をこなして勝負に挑む。

毎試合出場する野手にとって、こうした日々のルーティンは身体の変化の“気付き”に役立つとされる。決まった準備をすることで、身体にいつもと違った反応が現れたとき、その違和感に気付きやすくなり、原因も探りやすくなる。身長173cmながら、どこに投げても打たれるような感覚さえ与える吉田正尚の構えは、まさに全ての不安要素を振り払った「準備」を体現するものだろう。ゴールデングラブ賞7回、オールスターゲームでは5打席連続安打をするなど、現役時代の勝負強さで知られる井端弘和もこう言い切る。
「練習に入る前の準備、試合に臨む前の準備、1イニング、1打席への準備。準備ほど野球に大切なものはない」

「奇跡」といわれる勝利も、「準備」によって用意されている

一流のプロほど淡々と、しかし決して抜かりなく行う準備は、高校生であればなおのこと勝敗に影響する重要な要素だ。魔物が棲むといわれる甲子園で、堂々とした戦いぶりを見せる強豪校と、ミスを連発して敗退する高校との差は、準備の差と言っても過言ではない。2007年、普通科の公立高校として夏の甲子園に出場し、帝京高校や広島広陵高校に劇的勝利を収めた佐賀北高校の初優勝は、2000年代高校野球の最大のミラクルと呼ばれた。だが、当時の部員や百崎敏克監督の優勝後の談話からは、甲子園を勝ち抜くにふさわしい準備や心構えが見て取れる。

日頃から「そんなことでは甲子園では通用しない」が口癖だった百崎監督が最も徹底したのはフィジカルトレーニングだ。佐賀北の練習時間は短かったが、その多くはインターバル走やスクワット、伸脚などの下半身強化に費やし、甲子園出場が決まった後も継続したという(※1)。佐賀北は2回戦の宇治山田商業戦では延長15回の引き分け再試合、準々決勝の帝京戦では延長13回の死闘を演じ、大会史上最多7試合73イニングを戦っていた。最後までパフォーマンスを落とさず、決勝で試合をひっくり返すことができたのは、甲子園の過酷な戦いを想定し、そのための強化を周到に行っていたからだ。甲子園の舞台に「奇跡」は付き物だが、その奇跡もやはり準備によって用意されていたものといえるだろう。

強豪チームの域に達していた佐賀北高校の心がまえ

佐賀北高校は細かな準備も怠っていない。例えば、甲子園に入ってからの練習は時間が厳密に決められているが、佐賀北はそれを想定し、日頃から7分間のシートノックを行ったり、当日、急かされても慌てないようノック時の役割分担も明確にしていた。また、観客が目に入りがちな広いファウルグラウンドへの対応や、滞在が長引いて軽いホームシックにかかることを想定したメンタル対策まで行っていた。ファウルグラウンドを確認するのは、一流のプロももちろん行っていること。メジャー時代のイチローは、芝の状態によるゴロの打球の変化、フェンスの形や高さと自分の守備の定位置、太陽の軌道、クッションボールの処理など、球場ごとに異なる条件をすべて頭に入れたうえで試合に臨んでいたという(※2)。

「背伸びをすることがありませんでした。だから、ここをやればもうちょっとよくなるとか、細かいところに目が行くんだと思います」(※3)
佐賀北の当時のキャプテン・市丸大介はそう語っている。準々決勝の帝京戦では、延長12回表、相手スクイズを辛うじて阻止したものの続く打者に四球を与え2死満塁のピンチ。球場のボルテージが最高潮に達する中、捕手の市丸は冷静にタイムを取ると、ホームベース付近の土をサッとならした。市丸は前年までワンバウンドの投球を後逸することがあったため、春先からこうした場面では必ずベース付近をならすようにしていたという。投手・久保貴大(現・佐賀北高校監督)は、2球続けて地面すれすれのスライダーを内角に投じ、見事、三振でピンチを脱した。起こり得る状況に対して、小さなことでも抜かりなく習慣づける。そうした「もうちょっと」の準備が佐賀北の選手たちの躍動につながった。

準備は人が生きていくうえで最も大事なものを与えてくれる

とはいえ、毎日、地道な準備を積み重ねることは、そう容易いことではないのも事実。準備ができる人とは、そうでない人と比べてどんな違いがあるだろうか。かつて弱小と言われてきたラグビー日本代表を、世界の上位国と渡り合えるまでに育て上げたエディー・ジョーンズ氏(現・イングランド代表HC)は、準備のできる人=「必ず勝つという心がまえを決めている人」だと言う。これまで勝てなかった相手に勝つための準備は、大変なことでもある。だからこそ本当に大事なのは「腹をくくる」こと。腹をくくった人ほど熱意を持って準備を行い、勝利に近づいていくというのだ。

そして「準備」は人が生きていく上で最も大事なものを与えてくれるとエディーは語る。それは「自信」だ。
「自信には2つの種類があります。1つは運や天賦の才による自信。2つ目は自らの努力と準備で得た自信。前者はとても脆く、いつまでも続くものではありませんが、後者は強い。本人が掴み方を会得しているからです。一旦、成功や勝利を逃したとしても準備と努力を重ねれば、再び手にすることができるでしょう」(※4)
人はしばしば自信を失いがちであり、高い目標や強い相手を前にするときほど、自信が持てなくなるものだ。だが、それはそれ相応の準備をしていないからに過ぎない。奇跡と呼ばれる勝利のほとんどは、指導者が必ず勝つという「心がまえ」を植え付け、選手たちが必ず勝つための「準備」を行ってきた結果なのだ。勝負の綾は、そうした準備のひとつひとつに宿っている。
「自身を持つ方法は簡単です。準備と努力を重ねればいいのです。(中略)成功している人を見て『運がいい』という人は、準備をきちんとした経験がないのです」

(つづく)/文・伊勢洋平

※1 『佐賀北の夏』中村計/著(集英社)より
※2 『イチロー・インタビューズ 激闘の軌跡2000-2019』石田雄一/著(文芸春秋)より
※3 『心が熱くなる!高校野球100の言葉』田尻賢誉/著(三笠書房)より
※4 『勝つための準備』エディー・ジョーンズ、 持田昌典/著(講談社)より