Center line 〜センターライン〜
元読売巨人軍・井端弘和氏が、野球にまつわる様々なテーマを、独自の目線で深く語るYouTubeチャンネル『イバTV』を配信中! コラム 〜センターライン〜 では『イバTV』の未公開部分を深堀りし、テーマに沿ってお届けします。
[連載 第49回]
同じ目線で 〜子どもたちが野球を好きであり続けるために〜(前編)
Posted 2022.06.03

令和の時代になっても取り沙汰される体罰問題

都内の運動場の一角で、ジャイアンツのユニフォームを着た子どもたちが柔らかいボールを追いかける。バットでボールを打てない小さな幼児はラケットで打撃練習。女性コーチが教育番組のお姉さんさながらに楽しくリズムを取りながらボールの投げ方を教えている。
「今日は楽しかった?」
そんなコーチたちの質問に、子どもたちは「楽しかった!」と笑顔を返す。プロ球団が主催するベースボールアカデミーは、近年の“子どもの野球離れ”に危機感を抱いたNPBの各球団が、野球の普及を目的に立ち上げた野球教室だ。今年はスワローズがアカデミーをスタートさせ、12球団中10球団が地域の運動場などを会場に、子どもたちと野球との触れ合いの場を広げている。

だが一方で、そうした子どもたちの行く先々に影を落とすのが、なかなか根絶に至らない“体罰問題”だ。部活動における体罰や暴力は、2012年、大阪市立高のバスケ部キャプテンが顧問の虐待を苦に自殺した事件によって大きくクローズアップされた。文科省が実態調査に乗り出したところ、その年に発生した中学・高校の部活動中の体罰件数は前年の110件から2022件へと急増。昭和の負の遺産と思われていた体罰は表面化していなかっただけで、深堀りしてみれば脈々と続いていたのだ。

以降、数字の上では減少傾向にあるものの、この令和の昨今でさえ体罰や暴力、パワハラで謹慎処分を受ける高校野球部は後を絶たず、中学校や少年野球リーグでも度々問題となっている。体罰問題はバレーボールやサッカー、ラグビーのようなチームスポーツ、あるいは柔道のような武道系のスポーツにも多い傾向にあるが、どんな競技であれ許されるものではないし、7年連続で部員数が減っている中学・高校の野球部にとっては深刻な問題だ。

体罰でプレーが上達するわけがない

スポーツの現場では、どのような理由で体罰が起きているのだろうか。全国大学体育連合が2013年に実施した調査では、圧倒的に多いのが「ミスをしたとき」で28.5%、「試合の結果やプレーの内容」が9.4%でそれに続く。本来は、起きてしまったミスを仲間でカバーし合い切磋琢磨できるのがチームスポーツの良さだろう。ところが、ノックで上手くボールをさばけない子に平手打ちしたり、チャンスで打てなかった子に対して「お前のせいで負けたんだから謝れ」となじったりと、失敗した個人の傷口に塩を塗りつけるような指導が当たり前のように行われてきたのが実態といえる。体罰を受ける側も「自分が悪いのだから仕方ない」と我慢したり、「これを乗り越えれば強くなれる」というような根拠のないポジティブ思考で受け止めがちだ。

今年から侍ジャパンU-12代表監督を務め、自身の野球教室も開催する井端弘和は「体罰は薬物と同じで絶対にダメ」と断言する。
「叩いたり怒鳴ったりして指導したところで、それが身になるかといえば絶対にならない。犬や猫じゃないんだから、小中学生であってもそこには会話が必要ですし、会話で分かってもらうのが指導者ですよね」

井端自身、小学1年生から地元・川崎の少年野球チームに入団し、好きな野球に打ち込んできた。練習は遊び感覚で楽しかったが、髪型は監督のバリカンによる丸刈り。ボールを失くすとチーム全員“ケツバット”の刑に処されたという。当時はその程度の鉄拳制裁はまかり通っていた時代。もちろん井端もそれが当たり前だと思っていたし、それで野球が嫌いになるわけでもなかった。30代以降の少年スポーツ経験者や運動部経験者なら、こうした話を聞いてウンウンと頷き、ノスタルジックな共感を覚える大人も多いだろう。そして、子どもや若い人たちに何かを教えようとするとき、こんな思いに駆られたりしないだろうか?

「オレたちの時代は今と違って厳しかった。今の時代は甘すぎる」

時代を言い訳にせず、子どもの目線に立つ大切さ

だが、そうした思いを断ち切り、価値観をリセットすることが、今の指導者にとって最も大切なことだと井端は言う。
「『自分が子供のときはこうだった』というのはみなそれぞれあると思うけど、昔の自分は今の子たちよりもダラダラ練習してたから怒鳴られたのかもしれないし、今の子たちの方が高度な練習に取り組んでいるかもしれない。仮に昔の自分の練習をビデオで見たとしたら『何やってんだよ』と思うかもしれません。『監督は怖かった』といっても、子どもにとって大人はみな怖く見えるかもしれないわけで、本当のところは分からない。それよりも子どもたちをよく観察することが大事だと思います」

「子どもたち自体は今も昔もそう変わっているわけではない」と井端は言う。例えば、子どもたちが集中を切らすのは、疲れているわけではなく練習に飽きたりムダな時間を持て余すためだ。自分たちだって昔はそうだっただろう。ならば、飽きないように変化をたくさん与えるよう工夫すればいい。
「打つ練習ひとつとっても、打席で打つ子、ネクストで待ってる子、そして順番待ちでおしゃべりしてるような子たちがいる。それが目に付くから怒鳴ったりするわけでしょう。全員で同じようなことはせず、3つ4つのグループに分かれてそれぞれ違うことをする方が、子どもたちは待ちも少なく多くの練習ができますよね」

子どもと同じ目線で考える大切さは、高校野球の指導現場にも通ずる。かつて、わずか11名の部員を率いて北海道の甲子園常連校に打ち勝ち、全道ベスト8の旋風を巻き起こした虻田高校の石川尚人監督は、選手とともにロードワークに出ることで、プレーヤー目線を持てるようになったという。
「疲れてきたと思えば休みを取ろうとか、飽きてきたと思えばコースを変えようとか。朝練で走った後は学校でシャワーを浴びるんですが、これも自分で走ってシャワー浴びたいなと思ったのがきっかけです」(※1)
高校球児にとって、監督やコーチは当然、年上で経験も豊富。野球に対する情熱だって人一倍なければ務まらない仕事だ。とはいえ、指導する選手の理解に努めなければ、いずれ選手との間に齟齬が生じてしまう。

少年野球に「勝利至上主義」は必要か?

今年3月、柔道界では、小学生の全国大会が廃止されるという事態が起きた。指導者と保護者が試合相手の子どもや審判に罵声を浴びせたり、勝つために子どもに減量を強いるといった「勝利至上主義」の横行に歯止めがかからなかったためだ。

行き過ぎた勝利至上主義は、少年野球の現場でも問題視されている。「僕も少年野球を教えていたときに揉めたことがありますよ」と井端は言う。少年野球では勝ち負けに拘らず、全員を使うのが井端の方針。だが、中には「なんで打てない子を出すんだ」と、不満を募らせる親も出てくるという。
「子どもはみな試合に出たいし、そのために練習しているわけです。1打席も出る機会がなかったら、いつその子が上手くなるのかと。結果を出そうが出せまいが、打席でのスイングを見れば、僕はその子がどのくらい練習してきたか分かりますし、その子だって打てなかったら『また練習しよう』と思いますよ。努力してきたことが報われない、報われる機会を与えないのが一番良くないと思うんです」

昨今では、智弁和歌山の高嶋仁名誉監督も少年野球の勝利至上主義には異を唱えている。高嶋監督といえば「天理が4時間練習ならば8時間やらなあかん」というほどの練習の鬼。厳しい熱血指導で甲子園通算68勝の偉業を打ち立てた名将だが、監督勇退後、全国の野球教室を回って考えが変わったという。「野球が楽しい」と思っていた幼稚園児が、小学生、中学生になるにつれて野球から離れていく。指導者が勝とうとするあまり強い言葉で指導し、子どもたちを野球嫌いにさせてしまっているのではないか。そんな現実に直面したためだ。
「勝負というのは、高校野球だけでええと思うんです。少年野球のときは、勝負じゃなしにみんなができる、みんなが楽しいという、それがもっと必要やと思う」(※2)

(つづく)/文・伊勢洋平

※1 『心が熱くなる!高校野球100の名言』田尻賢誉/著(三笠書房)より
※2 日刊スポーツ紙上インタビュー『The Story』(2022年5月18日発行)より