Center line 〜センターライン〜
元読売巨人軍・井端弘和氏が、野球にまつわる様々なテーマを、独自の目線で深く語るYouTubeチャンネル『イバTV』を配信中! コラム 〜センターライン〜 では『イバTV』の未公開部分を深堀りし、テーマに沿ってお届けします。
[連載 第50回]
同じ目線で 〜子どもたちが野球を好きであり続けるために〜(後編)
Posted 2022.06.17

レベルに合わせた選択肢があるアメリカの少年野球

体罰問題や競技人口の減少の要因として問題視されるようになった勝利至上主義だが、では、海外の少年スポーツの現場はどうなのか。例えばアメリカの少年野球では、勝利を目的に野球をする子どもたちはいるが、下手だからといって試合に出られないということはまずない。というのは、遠征試合やトーナメント方式の大会も行う競技レベルの「トラベル・ボール」、初心者レベルの「レクリエーション・ボール」、その中間くらいの「セレクト・ボール」というように、同じ年齢でも階層的に異なるカテゴリが存在し、子どもたちがチームを選択できるためだ。最も日本と異なるのは、そのレベル分けとも言える選択肢だろう。

レクリエーションのチームは10〜15人程度で誰でも入ることができる。練習試合では守備変更は自由、打順も1〜9番で固定しなくていい(日本のリトルリーグやポニーリーグなど米国発祥のリーグはそれに倣ったルールを採用している)。コーチは地域のお父さんなどが務めているが、野球を楽しみ、成功体験を積ませることに主眼を置いているので、全員に出場機会があり、ミスや三振で怒るようなことは皆無だ。そうした環境で10歳〜15歳頃に急に上達する子どもたちは多く、レクで有望な子どもたちにはトラベルのチームからお誘いが来ることもある。よく欧米人は「褒めて伸ばす」「失敗してもチャレンジを評価する」と言われるが、そうした方針は指導者の考え方というより環境そのものに組み込まれている。

一方、トラベルのチームはトライアウトをパスしないと入れないほど本格的。職業コーチやプロ経験者らがコーチを務め、将来メジャーリーガーを志すような子どもたちが集まるのがこのカテゴリだ。トラベルはレクと違って遠征費用もかさみ、ユースの強豪チームではクビになる子どもいるほど競争が激しい。保護者の負担も日本の比ではないほど大変だが、アメリカでスポーツができる学生は奨学金を得やすいため、熱心なトラベルの保護者たちは我が子のためにサポートを厭わないようだ。この辺りは日本の勝利至上主義と似たような問題も垣間見られるが、アメリカの場合、自分に合わないと思えばチームを移籍するのが当たり前で、同じチームメイトと何年もプレーすること自体が少ない(※1)。チームのために個人を犠牲にするような風潮がないのだろう。

閉塞感のないドイツのクラブチーム文化

また、クラブチームの文化が根付いているドイツでは、日本の学校で放課後に行われるような部活動は存在せず、子どもも大人も年代別に地域のスポーツクラブに所属するのが特徴だ。とくに人気のサッカーは、どんな小さな街にでも地元クラブチームがある。ヨーロッパのクラブチームの面白いところは、スポーツを楽しむ目的や健康目的のほか、様々な人とのコミュニケーションの場としても機能していることだろう。地域のクラブは学校でも家庭でもない、第三の居場所のような役割を果たしており、他校の子どもたちとも交流できる場になっている。また、日本の部活動は卒業とともに引退となるが、ドイツのクラブは学校を卒業しても所属でき、大人になっても自分のペースでスポーツを続けていけるという(※2)。

実際は、そんなドイツでも行き過ぎた勝利至上主義は問題となっており、名門サッカークラブではU-10以下のチームの廃止が相次いでいる。ドイツでは2000年代に「タレント育成プログラム」を実施し、成績の低迷していたサッカー界を復活させた経緯があるが、一方で強豪クラブ間では若手選手の獲得競争が激化。それがU-8、U-9に及ぶこともあり、子どもたちが過度な競争やストレス、プレッシャーで潰れていくという弊害も生じてきたのだ。

1〜3部の強豪クラブでは、そうした反省から育成世代リーグの改革中でもあるが、とはいえ下部を支える地域クラブは先述のように開かれた場所であり、日本のような体罰は極めて少ないといわれる。もともとドイツは先輩・後輩のような上下関係がなく、移民や難民を積極的に受け入れてきた社会背景がある。その度に摩擦はあっても地域のスポーツクラブが彼らの受け皿となり、差別や暴力への反対という理念を掲げて融和を図ってきた。そうした背景も体罰が起きにくい大きな要因だろう。

希望、主体性、敬意……本来、スポーツが子どもたちにもたらすもの

「野球ができる場所も減って、親の送り迎えも大変だったりするような中で、入ってみたら球拾いばかりで打たせてもらえない、まして体罰のような仕打ちを受けるようなことがあれば、野球以外のスポーツに子どもたちが流れていくのは当然だと思う」
そう井端は語る。井端の出身地である川崎市は、かつて大洋ホエールズやロッテオリオンズが本拠地とした川崎球場を有する“野球どころ”だったが、球場が「富士通スタジアム川崎」へ改修された現在は、アメフトやサッカー、ラクロスなどが盛んに行われている。また、2020東京五輪で話題となったスケートボードも以前から人気で、大師河原公園スケートボードパークでは子どもから大人まで様々な世代がスケートボードに興じている。

この川崎のスケートボード文化は、どこか欧米のスポーツクラブに近い性格も持っている。今や再開発が進み「住みたい街ランキング」でも上位にランクインする川崎だが、かつては南部地区に工場や歓楽街で働く外国籍の人々が流入した歴史もあり、競馬場や風俗街を擁する駅東口エリアでは家庭や学校で居場所を失った不良グループの犯罪や事件も横行。“ケツ持ち”の暴力団が仕切るような狭い世界で少年時代を生きるアウトローも少なくなかった。だが、そうした背景を持つ街からはTV番組「高校生ラップ選手権」で優勝した“BAD HOP”のようなカリスマや、90年代にアメリカのスケートボードをいち早く研究し、ストリートで多彩なトリックを披露したスケートチーム“344”も登場。彼らの生み出した文化が若年層の希望となり発展した。大師河原公園のスケートボードパークは、彼らと親交の深いスケートショップgoldfishの店長・大富寛氏らが市の議員へ粘り強くロビーイングを行い、2014年にオープンした川崎市初の公営パーク(※3)。若者視点で生まれたスポーツが地域のコミュニティとして形になった好例でもある。

個人競技のスケードボードは野球と違って普段からコーチがいるわけではないし、国内のスケートパークはまだまだ少ない。だが、子どもたちは地元パークの上級者のスケートを見て学んだり、他のパークを訪れて交流を図ったりする中で、自らチャレンジしながら考え、一つ一つ目標をクリアしていく。失敗しても諦めずに挑戦する子どもがいれば、他の子どもたちがスケートボードを鳴らして励まし、大会では年齢や国籍、順位に関わらず、お互いの健闘を称え合う。そんな彼らの姿から、大人が学ぶべきこともあるのではないか。プロ選手が勝負や記録にこだわり、それを観た観客が歓喜したり一緒に悔しさを味わったりといった一体感ももちろんスポーツの魅力だが、それとは別に、主体性であったり、仲間や相手を称える気持ちであったり、スポーツが子どもたちにもたらす大切なものはたくさんある。

少年野球も環境整備や指導者の資格について考えるべき時代

つい先日、スポーツ庁の有識者会議では「公立中学校の運動部の部活動を学校単位から地域単位へ移行する」といった提言がまとめられた。少子化や教師の顧問業務による負担など、学校単位で中学生のスポーツ環境を維持することが難しくなってきたというのが主な理由で、2023年から3年間を改革集中期間として部活動の運営を地域のスポーツ団体へ移すという内容だ。地域のスポーツ団体とは、スポーツ少年団やクラブチームのほか、プロスポーツチームやフィットネスクラブのような民間事業者も含まれる。会費の面や指導者の確保、試合や大会をどうするかなどの課題はあるが、学校以外の居場所ができ、より専門的な環境でスポーツができるのであれば、公立中学で野球をしたい子どもたちにとっても朗報だろう。

「東京のような都市部は、野球をやりたいという子どもたちはたくさん集まるのですが、野球ができる場所が少なくなっていて、練習場が遠いチームもある。田舎の方では場所がたくさんあっても、野球する子が少ないとか、地域差も大きいので、地域に合った環境整備が必要ですよね。ただ、結局は、その中でいい指導者に巡り会えるかどうか」
そう井端は指摘する。

アマチュア野球を統括する全日本野球協会は、一昨年初めてU-12の指導者ライセンス制度を創設し、勝利至上主義に偏った指導の是正を目指しているが、既存の資格として全国軟式野球連盟の学童コーチや日本スポーツ協会の公認資格もある。前時代的な指導者に対してメッセージが浸透するには、もう少し時間がかかるかもしれない。手本となる大人が子どもたちと同じ目線で可能性を広げていくことができるかどうか。昨今の改革によって、野球を続ける子どもたちが少しでも増えることを願ってやまない。

(了)/文・伊勢洋平

※1 『アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた』小国綾子/著(径書房)より
※2 『ドイツの学校には なぜ「部活」がないのか』高松平蔵/著(晃洋書房)より
※3 『ルポ川崎』磯部涼/著(サイゾー)より