Center line 〜センターライン〜
元読売巨人軍・井端弘和氏が、野球にまつわる様々なテーマを、独自の目線で深く語るYouTubeチャンネル『イバTV』を配信中! コラム 〜センターライン〜 では『イバTV』の未公開部分を深堀りし、テーマに沿ってお届けします。
[連載 第51回]
負けない 〜未来への希望〜(前編)
Posted 2022.07.15

こんな時代でも、若いからこそ挑戦できることがある

「もしかしたら、4、5年先の方が社会状況も変わってラクに始められたかもしれない。でも、あのとき思い切って行動しなければ、尻込みして何もできなかったかもしれません」
四谷でワインバーを営む若い女性店主は、そう明るく話す。彼女が1人で店をオープンしたのは新型コロナウイルスの流行による“自粛生活”が本格化した2020年の11月。夏に襲った第2波は収束しつつあったが、この年の飲食業の倒産件数は年間最多を記録。どの繁華街でも多くの店が看板をおろし、夜は寂しいほどに閑散としていた。だが、その一方でコロナ前だったらまず出ないような人気立地の飲食店向け物件が好条件で出回った時期でもあった。

短大を卒業後、いつか自分の店を持ちたいと外食産業に就職した彼女だったが、マネージャーを任されるようになった5年目、新型コロナウイルスの流行が拡大し、社員の給料は減額。同僚や先輩が次々退職し、自身も大きな不安を抱えていたという。そんな中、親しい個人料理店のオーナーから開業の経験談を聞き「どのみち悩むなら、やりたいことで悩もう」と一念発起。わずかな貯金と融資を元手に、荒木町の小さな居抜き物件を契約したのだ。
「家族や友人からは、こんな時期に止めたほうがいいと散々言われましたよ。初めての開業だということで大家さんや内装を頼んだ職人さんにも心配されました。でも、失敗しても返せないローンじゃないし、もやもや働いてきたときよりも前を向けるワクワク感の方が大きかった」

とはいえ、開店して間もない1月8日には2回目の緊急事態が発令され、宣言は2ヶ月半にも及んだ。時短営業では、知人客が同情で一杯立ち寄るだけ。閉店時間まで客が来ないつらさに耐えきれず、店を閉めて帰宅する日もあった。だが、自分で選択した道を早々に諦めるわけにはいかない。客が来ない間は、山梨や長野のワイナリーが主催するセミナーに参加したり、仕入れの無駄をなくす対策を立てたりと「思い詰めなくて済む努力」を行った結果、今では毎日店を開けられるくらいの客足はあるという。
「もともと賑わっていた頃の経営を知らないので、これから少しずつ良くなればいいというか、最悪のときにオープンしてますから。それより悪くなることはないですよ」

知的障害を持つ生徒も、甲子園をめざしたい

先行きの不透明な時代であれ、自分の夢に向かってひたむきに挑戦できるのは、若者の特権だ。7月から各地で始まった夏の全国高校野球大会の地方大会でも、閉塞感漂うコロナ渦の時期にスタートした“夢のプロジェクト”が、大きな一歩を踏み出した。

愛知県大会で5校による連合チームに参加する林龍之介君は、県立豊川特別支援学校の3年生。軽度の知的障害を持つが、甲子園に夢を馳せる野球少年だ。高校球児だった父と野球部のマネジャーだった母の影響で、熱烈な野球ファンになった林君は、子どもの頃から地元・中日ドラゴンズの試合に通い詰め、中学3年生のときには甲子園で東邦高校戦を観戦。後にドラフト1位でドラゴンズに入団する石川昂弥の活躍を見て、自分も甲子園をめざしたいと思うようになった。

だが、豊川特別支援学校に硬式野球部はない。高野連の規定では、特別支援学校も全日制高校と同じ手続きで加盟することができるのだが「知的障害を持つ生徒が硬いボールで野球をするのは危ない」という意見が支配的。特別支援学校の生徒は野球がやりたくてもソフトボール部などに入部することが一般的で、硬式野球をする機会はほとんどないのが実情だ。林君もまた、陸上部に所属しながら、週末に父親と河川敷でキャッチボールやノック練習を続けていた。

新たな希望が、それまでの“決めつけ”を変えていく

そうした中、都立青鳥特別支援学校の久保田浩二教諭を中心に立ち上げられたのが、知的障害のある生徒も甲子園を目指せるようにしようという「甲子園夢プロジェクト」だ。社会人クラブチームでの監督経験もある久保田教諭は、ソフトボール部を率いて養護学校(現在の特別支援学校)での大会7連覇の実績を持つ。知的障害を持つ生徒でも、健常者チームとの試合で相手のウインドミル投法を目の当たりにすれば、それを研究して変化球を覚えるなど、強い向上心を持っているという。
「特別支援学校の生徒も指導の本質は同じ。野球ができないはずがない」
そう確信していた久保田教諭は、野球をしたい全国の特別支援学校の生徒を集めて練習会を実施し、このプロジェクトをスタートさせたのだ(※)。

昨年、その記者発表が行われると、林君はすぐに久保田教諭へ連絡を取って練習会へ参加。林君と両親の直訴が通じて豊川特別支援学校も愛知県高野連への登録を行い、林君は連合チーム18名のメンバーに名を連ねることとなった。現在「甲子園夢プロジェクト」に集う特別支援学校の生徒は約40名。元ロッテのセットアッパーとして活躍した荻野忠寛氏が講師として参加し、地方での練習会開催を目指してクラウドファウンディングも実施している。この活動が広まり、理解者が増えていけば、特別支援学校でも公式野球部ができ、いずれは単独チームとして地方大会に出場できる日が来るかもしれない。

未だ収まらないコロナ渦に加え、物価高が追い打ちをかける昨今、“不安定な社会状況”と“人々の気持ち”との戦いは続く。だが、高校野球もプロ野球も、そうした状況に負けるわけにはいかない。これまで野球をする環境さえなかった球児たちが、新たな希望に向かってチャレンジを開始している。

(つづく)/文・伊勢洋平

※ 『甲子園夢プロジェクトの原点』久保田浩二/著(大学教育出版)より