Center line 〜センターライン〜
元読売巨人軍・井端弘和氏が、野球にまつわる様々なテーマを、独自の目線で深く語るYouTubeチャンネル『イバTV』を配信中! コラム 〜センターライン〜 では『イバTV』の未公開部分を深堀りし、テーマに沿ってお届けします。
[連載 第54回]
甲子園に響いた、まっすぐな心の球音(後編)
Posted 2022.09.30

優勝候補ナンバーワンの大阪桐蔭はなぜ敗れたのか

一方、昨年秋の明治神宮大会と春の選抜を連覇し、誰もが絶対王者と信じて疑わなかった大阪桐蔭は、ベスト8で下関国際にまさかの逆転負けを喫した。

初回はスカウトも注目の捕手・松尾汐恩のタイムリーで先制し、続く2回も3番松尾、4番丸山一喜の2人で追加点。このまま得点を重ねていくかと思われた。下関国際の先発・古賀康誠は決して本調子ではなく毎回苦しいマウンドが続く。だが、桐蔭打線は本来ならもう1本出て畳み掛けられそうなところ、盗塁死やバントミスも生じてなかなかリードを広げられない。その間、下関国際打線は王者相手にしぶとく食らいつき、追いつ追われつの展開となって6回表には3-3の同点。その裏、再び1点をリードした大阪桐蔭は2死満塁で4番丸山を迎えたが、その場面でリリーフした下関国際の仲井慎は強気の速球で丸山を三振に封じ込め、最少失点で切り抜けた。そして、あのトリプルプレーで甲子園がどよめいたのは続く7回。大阪桐蔭がノーアウト1-2塁と広げた再三のチャンスは、バントエンドランの失敗で瞬時に潰えたのだ。

「もちろんああいうビッグプレーもありましたけど、投手の継投含めて下関国際はよく考えていたし、本当によく粘っていった。いくら相手が強くとも勝負事に絶対はない。やはり1点差の接戦に持ち込めば勝機は出てきますよね」
そう井端は語る。

波乱の要因については多くの識者がさまざまな視点から論じているが、接戦のもつれを打破するのに7回無死1-2塁はほぼラストチャンスだ。西谷監督に何かしらのひらめきがよぎったのは事実だろう。98年夏に松坂大輔を擁して秋春夏3連覇を達成した元横浜高校監督の渡辺元智さんは、トリプルプレーの場面についてこう語っている(※1)。
「西谷監督も勝ちたい気持ちが強く、一瞬、勝てる、勝つんだと、自分が動いてしまった。監督にも目に見えない、何か揺れ動きがあったのではないか」

悪い流れにハマったと思う試合は、いくらでもある

チームの調子も良く、万全の準備をしてきたはずなのに上手くいかない。勝とう、勝とうと思っても、どうにも歯車が合わない試合というのは、百戦錬磨のプロでさえあることだ。
「毎年140試合以上やっていれば『完全にハマったな』と思うときはありますよ。チャンスは作るけど、ここというときにヒットが出ないとか、いい当たりでも正面だとか。逆に、打たれず無得点で進んできたのに1度のピンチで集中打を浴びて終わってしまうとか、そういう試合はしょっちゅうあるんです。ある意味、それがあの大阪桐蔭と下関国際の試合で起きたとも言えるんですよね」
そう井端は俯瞰する。

「プロでも1軍と2軍が真剣に試合すれば2軍が勝つことだってあるでしょう。それが起きないようにするには本当の絶対的な力がないと、ってところですが、40歳まで野球をやらせていただいた身として言うと、10代の高校生でそこまで辿り着くのは難しい。大阪桐蔭は秋春夏3連覇を口にするだけの圧倒的な強さはありましたが、初戦の旭川大高戦を観る限り、やはり“絶対”ではないなとも思いました。甲子園でも地方大会でも、とくに初戦や準々決勝、準決勝というのは苦しいんですよ、精神的に。大学野球もそうですよね、東都みたいに入替戦の方がすごい試合になったりする」

大一番ほどカギとなる、精神的な拠りどころ

野球に限らず、競技の難しいところは、まさに「勝ちたい欲」をいかにコントロールして持てる力を発揮できるかだろう。むしろ我慢が勝利を呼び込んだり、流れに任せた者が勝つこともある。話は変わるが、王貞治氏や長嶋茂雄氏らとの親交も深く、「絵は小説よりもスポーツに似ている」と語るライブペインティングの大家・横尾忠則氏は、近著の中で「欲」についてこんなことを記している。
「自分まかせにすると、欲望に振り廻されますが、他人の要求にまかせた方が、生きやすくなります。その意味でも人間は年を取るべきだと思います。欲望が安定して初めて人生がスタートラインに立つように思います」(※2)
世界的アーティストが御年86歳を迎えてその境地に立つというのだから、多感で成長期の若い選手、さらには彼らの勝ちたい気持ちを預かる指揮官にとって、欲を抑えて大一番に臨むのはなおさら難しいことだろう。前述の渡辺元智さんも、若い頃は優勝したいあまり選手を叱責する材料ばかりを探していた時期があったという。そうした自分を変えるべく行ったのは、京都の寺院に教えを請うたり、三連覇達成前の98年、松坂ら選手に座禅を体験させたりといった、自分の心と向き合う精神修養だった。

「勝ちたいと思うな、負けられないと思え」とは、日本統治時代の台湾で弱小校と言われていた嘉義農林学校を率い、甲子園準優勝に導いた近藤兵太郎の言葉だ。近藤は初めてエンドランやホームスチール、隠し球を考案したといわれるほど勝利への執念を燃やした監督だったが、一方では選手たちのマインドの拠りどころとなる言葉でチームを束ね、奇跡を起こした。下関国際高校の標榜した「弱者が強者に勝つ野球」も然り。選手たちは、大阪桐蔭や近江といった優勝候補を相手に自分たちのスタイルを貫き、泥臭くも冷静な胆力で勝利をもぎ取った。仙台育英の須江航監督の掲げた「身の丈に合った野球」もまた、選手たちが地に足をつけ、目の前の勝負に集中するための合言葉となっていたに違いない。そして、須江監督が優勝インタビューでも触れていたように、高校生である彼らがあれほど心を打つ試合を見せてくれたのは、何より大阪桐蔭という存在があったからだ。

野球は、やってみないとわからない ―――

今夏の甲子園は、そんな選手たちのまっすぐな気持ちと野球の奥深さを改めて思い起こさせてくれた大会でもあった。

(了)/文・伊勢洋平

※1 『日刊スポーツ』2022年8月24日付記事「甲子園総括・前編」より
※2 『老親友のナイショ文』瀬戸内寂聴、横尾忠則/著(朝日新聞出版)より