Center line 〜センターライン〜
元読売巨人軍・井端弘和氏が、野球にまつわる様々なテーマを、独自の目線で深く語るYouTubeチャンネル『イバTV』を配信中! コラム 〜センターライン〜 では『イバTV』の未公開部分を深堀りし、テーマに沿ってお届けします。
[連載 第64回]
野球の未来〜効率化の進む中、残すべきもの〜(後編)
Posted 2023.06.09

AI時代、人間に必要なのは「疑う力」

「試合や勝負事においては、数字が全てではない」
その井端の言う根拠はどういったところにあるのだろうか。
「守っているときは、おおよそこうだという予測は当然していますが『もしかしたらコレがあるんじゃないか』というような勘が働くし、そうした勘はバッターとして打席に立つときも働くのでね。『データが正しいからこう動け』みたいな流れにはなってほしくないですよね。データの示す確率がいかに高くても、そうでないことが起こる可能性はゼロではない。ここぞの場面で『データの確率が高いからそっちに行った。けど失敗した』で済まされるのか。そういうものではないですよね、野球は」

野球は駆け引きの求められるスポーツだ。雌雄を決する試合の山場であっても、一流選手ほど状況を細かく観察したり、相手のコンディションや心理状態を把握したりする。AIほど正確な数字ではないにせよ、「これまでのセオリーはこうだ」、「初回はこうだったが今はこうだ」といった分析も頭の中ではできている。もちろんそうした分析にAIを活用するのは、これから野球の歩むべき未来だろう。だが、そうした中、ふと脳裏をよぎった過去の出来事から「これがあるかもしれない」と疑ったり、まさかの一手を閃いたりするのが野球選手の「凄さ」でもある。

井端は言う。
「大谷選手だってWBCでセフティーバントするわけだから。確率的にシフトを敷いて、あっちにバントするなんて1回もないといっても、重要な局面であれば疑わないといけないんです。例えば『これで勝ったら日本一』というとき3塁がガラ空きだったら、『あそこにちょこんと打ったらセーフだな。勝っちゃうな』と思ってやりたくなる選手って、いると思うんですよ。まあ、100人中1人でもいたら100パーセントじゃないし、まして大谷選手クラスがするのだから、疑わないといけない」

ヒットセラー『地頭力を鍛える』の著書で知られるビジネスコンサルタントの細谷功氏は「AI時代に求められるのは、自分で考える力」とし、「考えるとは、疑ってかかること」だと説く(※1)。そもそも「正しい」「間違っている」といった意見は絶対的ではなく、ほとんどの場合、状況による。当人が間違いだと思ったことでも、状況が変われば正しいことになり得る。だが人間は、自分の置かれた状況が全ての人に当てはまるという思い込みをしばしば起こす。それはAIに対しても言えること。野球は1つひとつのプレーによって「状況」が変わる。確率を鵜呑みにするのではなく、その変化に応じて疑い、自ら答えを導き出さなくてはならないのだ。

ピッチクロックは、試合時間の短縮に効果絶大だった

AIの導入と同時に、現在の野球界が直面している大きなテーマが「効率化」。つまり試合時間をいかに短くするかである。メジャーリーグでは、試合時間の長さがファン獲得の障壁になっているとして、今シーズンからついにピッチクロックが導入された。

ピッチクロックは投球と投球の間にかかる時間を制限・短縮するもので、MLBの場合、投手はランナーなしであれば15秒以内、ランナーがいる場合は20秒以内で投球モーションに移らなくてはならない。また、この15秒または20秒のうち、捕手は残り9秒までにキャッチャーボックスに入り、打者は残り8秒になるまでにバッターボックスに入って投手の方を向くという、なかなか細かいルールだ。さらに言うと、バッターが次の打者に代わる間のピッチクロック は30秒に制限されている。投手や捕手が違反するとボールがひとつ宣告され、打者が違反するとストライクが宣告される。

このピッチクロックは、確実に試合のテンポアップに寄与している。
「日本の社会人野球でも導入されたけど、めちゃくちゃ早くなりましたね、試合時間」
井端もその効果を実感する。社会人野球のピッチクロック はMLBよりも厳しく、ランナーなしの場合は12秒以内。今シーズンの試合平均時間は昨年より16分以上短縮されているという。MLBでも2022年に平均3時間6分かかっていたMLBの試合時間は、2023年4月の時点で平均2時間38分になった。

もちろん当初は賛否が分かれ、選手も観客も「急かされている感」が強かったが、シーズン開幕後はピッチクロックの表示も目立たない場所に設置され、選手たちもおおむね制限に適応している。メジャーを代表する大投手マックス・シャーザーは、制限ギリギリで投球したり、可能な限り早いタイミングで投げたりと実験を繰り返し、むしろピッチクロックを味方に活躍。昨シーズン、平均21.7秒だった大谷翔平の投球間時間は平均15.3秒になったが、そのパフォーマンスは落ちていない。菊池雄星も「制限時間のおかげで余計なことを考えすぎずに済む」と新ルールを歓迎した。

観る側も慣れるもので、当初は球審のコールに何が起きたのか戸惑うファンも多かったが、今では観客がピッチクロックを大声でカウントし、相手投手にプレッシャーをかけるなど、NBAバスケットボールの「ショットクロック」にも似た新たな楽しみ方さえ生まれている。すでにメジャーリーグ中継を見ている野球ファンからは「日本のプロ野球中継の試合がやけに遅く感じる」という声が上がっている。

ピッチコムとピッチクロックの登場で、8番キャッチャーがなくなる?

ピッチクロックの新ルールは、昨シーズンから導入されたピッチコム(バッテリー間でサインの伝達に用いられる電子機器)との組み合わせによって、さらなる変革をもたらしている。本来、ピッチコムは度々問題となっている「サイン盗み」を防ぐために開発された機器だが、大谷翔平やダルビッシュ有のように、球種が多く、相手チームの分析に長けている投手ほど、ピッチクロック対策として自ら投げたい球をキャッチャーに送信するようになった。キャッチャーからのサインに首を振っていると時間がかかるからだ。

「そうなってくると、キャッチャーのリードが要らなくなってくるよね。サインはピッチャー主導、そのうちベンチから直接ピッチャーに送るようになるかもしれない」
そう井端は指摘する。MLBはコーチ陣がタブレットを片手に戦術を立てている時代だ。ベンチからのサイン送信が可能になれば、当然AIが弾き出すサインが投手に送られるだろう。
「キャッチャーは受けるだけでいいことになる。リードが要らないわけだから、打てなくてもいいポジションではなくなるし、肩が強くて打てる選手が求められるようになりますよね。これまでは8番キャッチャーが主流だったけど、主軸を打ってほしい、20本は打ってほしいとか」

プロ野球の歴史では、故・野村克也さんをはじめ、打者との読み合いに長けたキャッチャーが「名捕手」と言われてきた。中日時代の井端もまた、ジャイアンツ戦では「投手というより阿部慎之助と戦っているようだった」と、その存在感を振り返る。だが、メジャーリーグでは、そうした名捕手の概念も過去のものとなりつつあるようだ。こうした変化は、どこまで日本球界に押し寄せてくるだろうか。

「ピッチクロックの問題は、9回裏の満塁、カウント3-2のような一番緊迫するような場面で『制限超えたからボールでサヨナラ』なんて終わり方は嫌だな、というところですよね。このルールが『観客のため』と言うなら、そうした緊迫した場面でピッチャーが気持ちを整えるのに時間を要しても、それを長いと感じる人はいないと思うんですよ」
井端と同様の意見は、MLBファンの間でも大勢を占めている。実際、ピッチクロック によってあっけなく幕切れとなった試合もあるし、大谷翔平がマイク・トラウトを打席に迎えたWBC決勝・最終回のようなシーンで急かされるのは、あまりに興醒めというものだろう。今後は、状況によって運用が改定されることもあり得るのではないか。

「これがそのまま日本に来ちゃうと怖いなというのはありますよね。ましてアマチュアで、野球人生をかけた最後の場面でササっと終えろというのはどうかと。とくに高校野球はタイブレークもあって試合時間は十分短縮されている。終盤の緊迫した場面は時間をかけても絵になるし、気持ちをしっかり整えてから一球を投じて欲しいですよね」

かつて甲子園未勝利だった常葉学園菊川高校を選抜優勝へ導いた森下知幸監督(現・御殿場西高校監督)は、自身のめざす高校野球をこう表現した。
「『ここで甲子園を決めるぞ』 そういう場面でスタートを切るために、3年かけて100回アウトになろう」(※2)
3年の夏、1点をリードされた9回無死一塁。そんな息詰まる場面で果敢に盗塁するために3年間かけて練習する球児たちがいる。効率化によって、その3年間の成果が悔いの残る形で終わるようなことはあってほしくない。

(了)/文・伊勢洋平

※1 『考える練習帳』細谷功/著(ダイヤモンド社)より
※2 『心が熱くなる!高校野球100の言葉』 田尻賢誉/著(三笠書房)より