Center line 〜センターライン〜
元読売巨人軍・井端弘和氏が、野球にまつわる様々なテーマを、独自の目線で深く語るYouTubeチャンネル『イバTV』を配信中! コラム 〜センターライン〜 では『イバTV』の未公開部分を深堀りし、テーマに沿ってお届けします。
[連載 第72回]
夢を叶える時 〜122人の新たな挑戦〜(後編)
Posted 2023.11.17
©日刊スポーツ/アフロ

ドラフトでは指名漏れする選手が大半

ドラフトでどの選手を指名するかはチーム事情によるところが大きく、各球団、上位指名がうまくいかずに戦略を変更することもある。そのため下位でリストアップしていた選手が育成枠や選外となることは珍しくない。

高校通算62本塁打の真鍋慧(広陵高校)は“順位縛り”の事情もあり、指名漏れを受けて大阪商業大学へ進学。真鍋や佐々木麟太郎とともに「高校生スラッガーBIG3」と呼ばれた佐倉侠史朗(九州国際大学付属高校)は、ソフトバンクホークスの育成3位にとどまった。仙台育英の150km/h左腕・仁田陽翔、神村学園の黒木陽琉ら、甲子園を沸かせた投手も支配下指名には至っていない。

2年前に明治大学で通算11勝を挙げながら指名漏れし、今回が2度目となる竹田祐(三菱重工West)、高校時代に指名漏れを経験して以来、埼玉武蔵ヒートベアーズに所属しながらNPB入りを目指して3年目となる長尾光にも吉報は届かなかった。

「ドラフトでは、むしろそれが大半ですよね。でも、だからといってこれで野球を辞めるというふうにはなってほしくないし、目標がプロの世界だからこそ志望届を出していると思うんでね。そこでやりたい、という気持ちを可能な限り持ち続けてほしいと思っています」
井端はそう自身の思いを語る。

あの栗山英樹監督も、葛藤しながら決断したプロへの道

もちろんプロは保障なき厳しい世界。進路に悩みながらも入団テストからプロ入りし、のちに日本球界のみならず世界のベースボールに多大な影響を与えた人物もいる。日本ハムファイターズ時代の大谷翔平の師でもあり、今年3月に開催されたワールド・ベースボール・クラシックで賜杯を奪還した栗山英樹・侍ジャパン前監督だ。

中学生のころ、地元・小平市の「小平ポニーズ」で投打に活躍した栗山さんは、当時、甲子園出場に向けて野球部に力を入れていた創価高校へ入学。故・稲垣人司監督の猛練習に耐え、エースでキャプテンを任されると3年生の春季大会ではベスト4までチームを牽引する。だが、甲子園初出場のかかる西東京予選の4回戦、都立の東大和高校に打ち込まれ、まさかのコールド負けを喫してしまう。

プロへの夢を抱いていた栗山さんは、東海大相模時代からスターとして注目を集めていた原辰徳さんが大学へ進学するのを見て「大学野球で力をつけよう」と明治大学を受験するが、体の小ささやケガを心配する両親に猛反対され、指導者になるべく東京学芸大学へ進路を変更する。

だが、夢はそう簡単に捨てられるものではなかった。肘の故障から野手として野球を続け、進学塾でアルバイトをしながら教員免許も取得した栗山さんだったが、読売ジャイアンツで活躍する原辰徳の姿をテレビで目の当たりにするたびに「本当に自分はプロを目指さなくていいのか」と自分で問いかけることが多くなったという。

そうした中、栗山さんは卒業もあと1年に迫る3年生の春休み、偶然、練習試合を見に来ていた佐々木信也さんとの出会いを機に、再びプロ野球を目指そうと決意する。元プロ野球選手で『プロ野球ニュース』のキャスターだった佐々木信也さんは、当時、誰もが知る有名人。その日は相手チームの玉川大学でプレーする息子の応援に訪れていた。その試合で絶好調だった栗山さんが、佐々木さんの姿を見てプレーの講評を懇願すると、佐々木さんはこう言ったという。
「キミなら、プロ野球でやっても面白いかもしれないね」

その言葉を真に受けた栗山さんは、恩師の稲垣監督とともに改めて佐々木さんの自宅を訪れ、プロを目指す方法がないか相談。佐々木さんにヤクルトスワローズの入団テストを手配してもらった栗山さんは、ドラフト外という底辺からではあったが、夢への扉をこじ開けたのだ。

入団後の挫折を救った恩人の言葉

当時、ヤクルトのスカウトを務めていた故・片岡宏雄氏は、入団テストを受けた栗山さんに対して「教員免許を持っているのだから、地道に生きた方がいい」と諭したが、栗山さんの「どうしても野球をやりたい」という意思は固かったという。

その一本気な姿勢が入団につながったとも言えるが、ドラフト上位で入団した同期との力の差を痛感した栗山さんは、入団早々に挫折を味わうこととなる。2軍の試合に出場機会を得ても、チームメイトから「アイツが出たら勝てない」、「クリが守っている時に投げたくない」とさえ言われ、一時はキャッチボールさえまともにできないイップスに陥った。

だが、捨てる神あれば拾う神あり。自身もテスト生として読売ジャイアンツに入団した経歴を持つ内藤博文2軍監督が、すっかり自信をなくしていた栗山さんを気にかけ、居残り指導に付き合ってくれることになったのだ。

「なあクリ、プロ野球っていうのは競争社会だよな。1軍に上がらないと認められないよな。でも、オレはそんなことはどうでもいいんだよ。お前が人間としてどれだけ大きくなれるかどうかのほうが、オレにはよっぽど大事なんだ」
落ちこぼれの烙印を押されて悪戦苦闘する栗山さんに対し、内藤監督はそう説いたという。

「他の選手と自分を比べるな。明日の練習で、今日よりちょっと上手くなっていればそれでいい」
その師の言葉に救われ、再び野球に打ち込めるようになった栗山さんは、徐々に本来の野球勘を取り戻し、2年目にはイースタンリーグ80試合のうち70試合に出場するほど成長していった。

大切なのは、自分を見失わないこと

野球人生における最大の恩人となった内藤博文さんは2013年に逝去するが、その指導哲学は、のちに日本ハムファイターズの選手たちを輝かせる栗山監督の原点となった。

その栗山さんの後を受けて侍ジャパンの監督を務める井端もまた、奇しくも同様の言葉を大切にし、ジャイアンツの若手やU-12の子供たちを育ててきた。その言葉とは「焦らず、自分を見失わないこと」だ。
「他人と自分を比べるな」
「自分を見失うな」
そうした言葉は、ファームで苦労を重ね、ようやく1軍出場の機会を掴んだという共通体験から滲み出るものかもしれない。

来季から念願のプロ野球選手となる122名に対しても、井端はこうエールを送る。
「プロは間違いなく結果を出さないといけない世界。だけど、焦って復帰できないほどの怪我をすることだけは避けないといけませんよね。プロに入る選手は、みな良いものを持っているから入れるんであって、背伸びする必要もないし、自分を見失わないことが大切。自分のやるべきことを積み重ねていってほしいですね」

指名から外れた選手にとっても同じことが言えるだろう。そのドラフトの結果は、大学や社会人野球、独立リーグでさらに力をつけて次こそ上位指名を受けるという、新たな目標へのスタートに他ならない。

かつて井端が感じた「指名を受けても1軍で活躍できるのだろうか」といった不安。あるいは栗山さんのご両親が気にかけていたような「ケガでフィールドを去ることになったらどうなるのか」、「セカンドライフはどうするのか」という心配。当然、プロ野球選手はそうした人生のリスクを取らなければならない職業でもある。

だが、一度きりの人生、夢は追わずに後悔するなら、とことん追った方がいい。厳しくも華やかなプロの世界には、本気で目指した者にしか訪れない運命の出会いがあり、そこに立った者しか見ることのできない景色があるからだ。

(了)/文・伊勢洋平

参考文献
『栗山魂:夢を正夢に』栗山英樹/著(河出書房新社)
『スカウト物語:神宮の空にはいつも僕の夢があった』片岡宏雄/著(健康ジャーナル社)