Center line 〜センターライン〜
元読売巨人軍・井端弘和氏が、野球にまつわる様々なテーマを、独自の目線で深く語るYouTubeチャンネル『イバTV』を配信中! コラム 〜センターライン〜 では『イバTV』の未公開部分を深堀りし、テーマに沿ってお届けします。
[連載 第12回]
超一流とは 〜巨人軍不動の4番打者〜(後編)
Posted 2020.05.01
©YOMIURI GIANTS

ヒットだけ打てばいいのなら、4番である必要はない

巨人の4番は球界の4番。歴代のスーパースターたちには、それを象徴するような一打が必ずある。

長嶋茂雄が球界のスターへと飛躍を遂げた一戦といえば、1959年、後楽園球場で行われた天覧試合。阪神が先制したこの一戦は、逆転に次ぐ再逆転のシーソーゲームとなり、7回の王貞治のソロアーチで4-4の同点。そのまま9回へと突入した。両陛下が試合を観戦できるのは9時15分までと言われており、延長戦に突入すれば途中退席される予定だった。だが、9回裏、先頭打者として登場した長嶋は、陛下が退席されるまさに3分前、村山実の投じた第5球目のインハイを振り抜き、サヨナラ本塁打を放ったのだ。

王貞治の名勝負として挙げられるのは、1971年、1勝1敗で迎えた阪急ブレーブスとの日本シリーズ第3戦だろう。巨人打線は若き日のサブマリン・山田久志に押さえ込まれ、1点ビハインドで迎えた9回裏ツーアウトの土壇場。ランナー1・3塁で打席の回ってきた王は、日本シリーズ史上最も劇的と言われる逆転サヨナラの一振りをライトスタンドへ放り込んだ。

1960年代、絶頂期の王貞治を恐れた広島カープは、ライトをラインぎりぎりに立たせ、レフトをほぼセンターの位置まで移動させる“王シフト”を敷いた。監督の川上哲治は「たまにはガラ空きのレフトにヒットを打ってはどうか」と進言したが、王はこう答えたといわれる。
「それはよく分かりますが、ファンは僕のホームランを見に来てくれる。流し打ちでヒットを打っても喜んでくれません」(※1)

三冠王3回の金字塔を打ち立てた落合博満も4番の役割をこう語っている。
「4番打者は来た球を打っていればいいのではない。相手の一番いい球を狙い撃って、ダメージを与え、チームの雰囲気を変えなければならない。ときには無理をして本塁打を狙わなければならない。ヒットだけ打てばいいなら4割打てるが、おれは4番打者だからそれをしない」

混迷の時代、ファンは4番の一発へ思いをつなぐ

「なぜなら4番だから ――」
そんな一撃を打てるスラッガーこそ超一流であり、彼ら超一流のプライドによって連綿と受け継がれてきた打席こそ、原監督の表現した「侵すことのできない聖域」なのだろう。

翻れば、それは野球以外の世界でも通ずること。企業で働くサラリーマンにしても、ただ従順に仕事をこなすだけでは超一流とはいえまい。以前、テレビの教養バラエティ番組でこんな企画があった。
「絶対にノーと言わない超一流ホテル」リッツ・カールトンは、どこまでお客さんの要望に応えてくれるのかという検証企画だ。(※2)
「昔、自分が主演していた映画のDVDを見たい」
「前髪を少し切りたいので梳きバサミを持って来てほしい」
「彼女にプロポーズをしたいので、サプライズ演出で花火を上げてほしい」
芸人たちや番組スタッフの扮する宿泊客の無理難題に対し、コンシェルジュや従業員たちは真剣にその対応を考えて機転を利かせ、要求のさらに上をいくホスピタリティで仕掛け人や番組の司会者を驚かせた。
「なぜ、そこまでするのか?」
そんな問いに対して、コンシェルジュはこう答えたのだ。
「リッツ・カールトンですから」

巨人の4番・岡本の新たなシーズンは、新型コロナウイルスの感染拡大により、無観客試合のオープン戦や度重なる延期で、心身ともに調整の困難な状況が続く。だが、そうした状況下でも、ジャイアンツ球場にはひたすら個人練習に打ち込む岡本の姿がある。

「4番打者に求められるのは、期待感ですよね。試合の終盤、『頼むからここで打ってくれ』というシーンで得てして打席が回ってくる。打順が回ってくるだけでファンにもナインに『あるぞ』と思わせる。僕らだって『なんとか4番につなごう』『つなげば何とかしてくれる』という思いで打ってましたし、ジャイアンツで言えば、やっぱり松井さんはそういう雰囲気ありましたから。そして期待に応え、球場の空気を変える。今年の岡本には、完全にその域に達してほしい」
そう井端は語る。

かつて、金沢のリトルリーグがニューヨークを訪れ、日米野球少年の交流イベントが行われたとき、イベントに登場したヤンキースの松井秀喜は、「明日ホームランを打ってください」という少年たちの言葉に応え、翌日のホワイトソックス戦で2本の本塁打を放った。後日、松井は当時を振り返って次のように語っている。

「一選手としては勝つためにプレーしたのであって、あのとき狙ってた、なんてことは言えない。ただ、ホームランというのは、それだけで何か夢があるんですよね。小さい頃にホームランを打てても、レベルが上がっていく中で段々と方向転換していかないといけない選手はたくさんいる。プロという最高の舞台でホームランを追い続けられるというのは、本当に、そんなに多くはないと思うんです」

先の見えない混迷の時代、それでもファンは野球を待ち望み、選手たちがグラウンドを駆ける姿を夢見て、思いをつないでいる。開幕がいつになろうとも、遅れた春の祝砲を上げるのは、看板役者・岡本の一振りに違いない。

(了)/文・伊勢洋平

※1 『巨人の4番 栄光の座』フォレスト出版編集部/編(フォレスト出版)より
※2 『心がワクワクして元気が出る!37の旅の物語』西沢泰生/著(産業編集センター)より